世界遺産モンテ・アルバンの北大基壇登り口東端からオアハカ盆地を望む。2014年11月18日(火)。 中央広場をかこむ東西200m、南北300mの範囲に主な神殿や、天体観測所(建造物J)、球戯場などがある。
博物館から坂道を登り、右側にある北大基壇へ登った。先古典期後期の初め(BC500~BC300年)に山頂部分を削って、北大基壇とその南にある大広場が造成された。
北大基壇。本来は化粧漆喰や赤で彩色された石彫円盤で装飾されたパネルで構成されていたため宝石の基壇ともよばれる。東向きの基壇と階段を持つ。のちのⅢA期にテオティワカンに影響を受けた建造物により隠されてしまっている。
北大基壇の一段上の部分から見下ろすオアハカ盆地。すぐ下には博物館が見えている。
北大基壇の上部。右奥は大広場西側の建造物群で踊る人々の建物などがある。石段を何度も乗り越えて昇らねばならない。作業員らしき現地人に、出土品らしき陶器を買わないかと尋ねられたが、断った。
北大基壇の上部。右下は大基壇の下部中央部にある半地下式広場。 北大基壇を降りて、登り口の東側にあり球戯場へ向かう。
球戯場。先古典期終末期(BC100~200年)頃に建設された。マヤの遺跡でも良く見かけるが、上から見下すというシチュエーションは珍しい。
大広場中央北側の建造物G・H・I。神殿と推定されている。
大広場北側東にある貯水池。建造物Hの東にある。祭祀の場であったともされる。
大広場南側。左に南大基壇、右に建造物I。中央の建造物Jは天体観測所と推定されている。壁には先古典期終末期の「征服石板」が嵌め込まれていた。
建造物Jの位置図。左が南大基壇。右が神殿群。ほかの建物と違い45度斜めの角度に建てられている。なお、貯水池東の建造物Pも天体観測所であったという。
南大基壇の上部から北大基壇方向を眺める。中央には天体観測所。右側には宮殿などの建造物がある。南大基壇の周囲を1周してみたが、盆地の景観は北基壇からの方がよかった。
踊る人々の建物。大広場の南西にある。BC500~200年の間に320以上の人物像石板が刻まれた。建物の外部に展示されている。人身犠牲にされた戦争捕虜の図像である。
大広場北西にある石柱。高さ5.8mと石柱では最も高い。モンテアルバンⅡ期(BC100~300年)に建てられた最古の石柱。石柱の影により正午を測定するための日時計として、また冬至・夏至の測定にも使用された。 石柱の東側部には水神の象徴が彫られ、西側部には古代サポテカ暦で「5のサトウキビ」と「9の猿」という月日が彫られている。
このあと、遺跡北部の墓地群へ向かった。