オアハカ。精緻な幾何学文様で知られる後期サポテカ文化のミトラ遺跡。サンパブロ教会。2014年11月19日(水)。オアハカ。ティアンギス(青空市)が開かれていたビジャ・デ・エトラからコレクティーボで、オアハカへ帰った。ミトラ遺跡行きのバスは北部郊外行きバス乗り場の西にある二等バスターミナルから出ている。二等バスターミナルは名前の割には屋根のある大きな建物であった。切符売場も各方面ごとに幾つかあり、通行人に「ミトラ」と叫ぶと、売り場を教えてくれた。問題は本数が少ないことで、30分ほど待たされた。13時過ぎに、二等バスが来て、満員に近い乗客を乗せてミトラへ向かった。 1時間40分後、幹線道路にあるバス停で下車。商店街が続く斜めの道路を遺跡方面へ歩く。15時に近く暑い。川を渡り、右側の緩い坂道を登ると、バスが停まっている広場に出た。遺跡のチケットを購入し、手始めにすぐ西側にあるサンパブロ教会地域の建物群へ向かった。
ミトラはオアハカ市の南東44kmにある後古典期のサポテカ文化の遺跡である。名称の由来は、ナワトル語の「ミクトラン」(死者の地)から来ている。モンテ・アルバンが750年~1000年頃に衰退に向かう頃、オアハカ盆地一帯にいくつかの都市国家が建設されたうちの主要都市で、人口は1万人、1521年のスペイン人侵略時まで栄えた。高位のサポテカ人の王兼神官が住んだとされる。
ミトラ遺跡。サンパブロ教会。裏側の広場に残るサポテカの遺跡。幾何学模様が残っている。
ミトラ遺跡。サンパブロ教会。下部にはサポテカ時代の建造物の石積みが残る。
ミトラ遺跡。サンパブロ教会。赤茶色のドーム状の屋根と十字架の建てられた白い尖塔が見事な教会は遺跡の石材を利用して1590年に建てられた。
ミトラ遺跡。南側地区入口付近から列柱の神殿を眺める。
ミトラ遺跡。列柱の神殿の西側。遺跡内で最も重要な支配層の住居複合体とされる。
ミトラ遺跡。石柱のホール。列柱の神殿へ南側から登ると、まずこの38mの細長いホールに出る。かつては6本の円柱が屋根を支え回廊として使用されていたとされる。 ホールの北側にあるモザイクの中庭へ進む。
ミトラ遺跡。モザイクの中庭。列柱の神殿の中でも精緻な幾何学文様のモザイクで覆い尽くした壁飾りで知られる。 作業員が数人いて、どこの国から来たと尋ねてきた。
ミトラ遺跡。モザイクの中庭。幾何学文様のモザイク。
ミトラ遺跡。モザイクの中庭。中庭に面して部屋がある。
ミトラ遺跡。モザイクの中庭。部屋の内部。小さく切断した切石をモザイク調に嵌め込んだ幾何学文様はマヤのプウク様式にも見られるが、ミトラ遺跡では上段・中段・下段がまったく違う幾何学文様の連続となっているなど、精緻さや美的感覚などに優れている。 波、大地、空、羽毛のある蛇、雷文など14種類のモチーフを、小さく切断した切石をモザイク調に嵌め込んで表現している。
ミトラ遺跡。モザイクの中庭。部屋の内部。屋根は竹やシュロなど取り外しのできる素材で復元されている。
ミトラ遺跡。列柱の神殿。北の中庭中央から眺める。壁の下部は赤に彩色された。
南側の南の中庭へと進む。