ハラパはベラクルス州の州都で、1519年、エルナン・コルテスがアステカ王国の首都テノチティトランへ向かう征途上で、センポアラを経てハラパを通っている。ハラパはトウガラシの品種の一つハラペーニョの語源となっている。
市バスでここだと降ろされたが、ゆるい坂道を10分ほど登らねばならなかった。坂を登り切った道の右側にある博物館の前には大きな噴水があった。
広大なエントランスロビーの一角にある受付で入場券を購入、その横のクロークで荷物を預かってもらった。その横の展示室に入ると、現代風の美術だったので、怪訝な顔をすると、職員が常設展示の方へ案内してくれ、リーフレットを渡してくれた。立派なリーフレットを貰えるのは、メリダの人類学博物館以来で、メキシコでは珍しい。
オルメカ文明を代表する巨石人頭像。
メソアメリカ文化では星月夜を象徴するジャガーの皮を被ったような髪型をしている。猛禽類の鉤爪のモチーフも見られる。また、耳覆いのようなものも巨石人頭像に共通したモチーフである。
オルメカ文明はメキシコ湾岸低地南部のベラクルス州南部と東に隣接するタバスコ州西部で発達したメソアメリカ自生の最初の文明である。
メキシコ湾岸低地は、大河川と海岸沿いの肥沃な平野に恵まれ、パパロアパン川、グリハルバ川といった豊かな水をたたえる大河が熱帯雨林の中を流れる。その川沿いにオルメカ文明は発達した。
オルメカ文明の最初の遺跡はベラクルス州にある祭祀遺跡のエル・マナティである。BC1600~1000年、川の氾濫原上の小高い丘の麓にある泉に巡礼者たちが供え物を埋納した。BC1600~1500年には土器、石製容器、火によって砕けた炉石、ヒスイ製の磨製石斧、ゴム球などを埋納した。
サン・ロレンソはオルメカ文明前期最大のセンターであった。エル・マナティの北西17kmに位置し、BC1500年に居住が開始され、BC1200~900年に全盛期を迎えた。川の氾濫原に高さ7mの盛土で1㎞ほどにわたり台地を造成した。
巨石人頭像、玉座などの石材は直線距離で60㎞離れたトゥシュトラ山脈から運ばれた。台地の上に赤い宮殿など支配者層の住居が集中している。支配層はオアハカ盆地、メキシコ中央高地、グアテマラ高地と交易した。
サン・ロレンソ衰退後、オルメカ文明で最大のセンターになったのが、タバスコ州にあるラ・ベンタである。BC1200年頃に居住が開始され、BC900~400年に繁栄した。トナラ川が流れる沖積平野の丘陵上に立地した。土製・アドベ製建造物が複数の広場を構成した。
博物館は緩い勾配の丘陵地に建てられており、1室ごとに階段を下っていく構造になっている。廊下の右側に展示室と、吹き抜けの屋外展示がある珍しい構造である。
1946年に発見され、堂々とした容貌から「王様」とよばれている。ジャガーの手が輪になったような髪型は水と美の象徴であるトルコ石と関連がある。幅広の鼻、厚い唇、大きく開いた眼などはこの時代の美人・美男の基準を表していたと理解されている。軽い斜視や頭蓋骨変形、耳覆いも見られる。
NO9。サン・ロレンソ出土。BC1200~900。長さ0.97m、幅1.16m、高さ1.65m。
NO3。サン・ロレンソ出土。BC1200~900。長さ0.83m、幅1.28m、高さ1.80m。
NO4。サン・ロレンソ出土。BC1200~900。長さ1.05m、幅1.02m、高さ1.7m。
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アンヘル・エル・カバダ出土。BC1200~900.長さ0.54m、幅0.54m、高さ2.25m。
無性の人間が左側へ回転し、膝を曲げている。頭を飾りたてているのも特徴。