世界遺産ルイス・バラガン邸。1948年建設。2014年14年11月22日(土)。メキシコ・シティ。
メキシコ南東部9日間の小旅行を終え、土日は11月11・12日以来の市内観光となる。国立自治大学、クイクイルコ遺跡、フリーダ・カーロ博物館、トロツキー博物館を見学。24日からのサカテカス、グアダラハラ、グアナファトへの5日間の小旅行ののち、近郊都市への日帰り旅行を3日ほど計画していたので、シティ市内の日程は帰国当日を予備日としても余裕がなくなってきた。
世界遺産ルイス・バラガン邸の存在は「海外旅行の観光ベストシーズン」HPのメキシコ世界遺産欄で2012年頃に知った。近代建築で世界遺産に選定されている建物は少ない。20世紀の巨匠ル・コルビュジェやフランク・ロイド・ライトでさえ、まだ選定されていない。ミース・ファン・デル・ローエとヴァルター・グロピウスは選定作品がある。知名度の劣るルイス・バラガンの作品が選定されたのは、「新たな分野に焦点を当てていく」という2004年当時の選定委員会の方針に合致したためという。
見学の事前予約が必要だということは知っていたが、旅行前半にメールで予約すればいいと判断し、3回ほどメールを送信したが、返事がなかった。やはり、電話するべきだったと思ったが、もう遅い。日曜休館なので土曜日しかない。空いていれば、係員が好意で予約なしでも入れてくれることがあるという記事に賭けることにして、メトロで現地へ向かった。
メトロから地上に出ると、2方向が半地下の自動車専用道路に囲まれていた。人の流れに沿って北の陸橋を渡り、違うと感じたので戻り、狭い歩道を道路沿いに西進すると、南側街路にそれらしい建物の列なりを見つけた。
リビングの廊下側に折れ曲がった白いパーティションがあったので、これ「ビョンボ」ですかと尋ねたら、そうだと答えてきた。ザビエルの時代から屏風がスペイン語にとって外来語として採用されていたのである。古い中公新書だが、「スペイン語入門」(井沢実)を持参して読んでいたので、こんなにすぐに役立って笑ってしまった。当然、フランス人カップルには理解できなかったろう。日本人が発明した和風建具をバカにしてはならない。西洋人は活用している。
室内ごとにガラスのように反射する球体の置物が置かれている。友人の作品だという。私には占い用の水晶のように見えてしかたなかった。
安藤忠雄は2階のゲストルームに泊ったらしい。窓は十字架形に光が漏れてくる。安藤作品によく見られる手法である。以前にも書いたが、安藤忠雄の作品はコンクリートの灰色しかないのが、特徴だ。ル・コルビュジェもそうだが、鮮やかな色彩の外観が視覚に好ましい。そういえば、日本人建築家は色彩豊かな作品を設計していない。漫画家が新築住宅に色彩を使おうとして、地元から反対された事件があった。特区でも作って認めたほうが、日本の建築界のためになるのではないか。
11時25分頃に見学終了。受付の裏に売店がある。視覚に幻惑されて興奮したせいか、予約なして入館できたうれしさのせいか、つい土産を買ってしまった。
軽くてかさばらないのはいいが、単なる紙なのに、150ペソと高かった。
見学後、邸宅前の街路を南へ歩いてみた。この一帯はバラガン邸と同じく、瀟洒な邸宅が散在した街並みが続いていた。
ルイス・バラガン(1902~1988)はメキシコ人の建築家・都市計画家。水面や光を大胆に取り入れた、明るい色の壁面が特徴的な住宅や庭園を多く設計したことで知られる。彼の建築の基本は、白を基調とする簡素で幾何学的なモダニズム建築であるが、メキシコ独自の、たとえば民家によく見られるピンク・黄色・紫・赤などのカラフルな色彩で壁を一面に塗るなどの要素を取り入れ、国際主義的なモダニズムと地方主義との調和をとった。また庭園や屋内に水を張った空間を取り入れたり、建物に溶岩やメキシコ独特の植物からなる庭園を作ったことも特徴である。
12時を過ぎたので、同一方向にある国立自治大学の見学へと向かった。