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Channel: いちご畑よ永遠に
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クィクィルコ遺跡 メキシコ・シティ メキシコ盆地最古の都市遺跡

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クィクィルコ遺跡の最寄バス停。メトロバス
1号線ビジャ・オリンピア駅。2014年11月22日(土)。。
世界遺産メキシコ国立自治大学・中央大学都市キャンパスの見学を終え、メトロバス1号線のドクトル・ガルベス駅へ戻り、3駅南のビジャ・オリンピア駅で下車。メトロバスは専用レーンを走行するので渋滞は少ない。
右側の歩道を歩き、通信会社の入口を通り過ぎると、遺跡のある歴史公園の隅に着き、遊歩道を歩いてバス停から10分ほどで、1530分ごろ係員詰所のある入口に到着。入園無料で、閉園は17時。
 
クィクィルコはメキシコ中央盆地では最古の都市・宗教センターで、かつてのテスココ湖の南西岸に所在し、BC700~AD150年にかけ栄えた。
語源は不明だが、アメリカ人考古学者の説では歌や踊りが開催される場所という。
中央盆地において、BC500年頃はクィクィルコが最大の都市センターであった。テオティワカンは遅れて都市化が進んだといわれる。
テオティワカンのあったテスココ湖北部に比べ、南部の方が農耕に適しており、当時は盆地南部に人口が集中していた。両者の人口規模はBC150年頃ともに2万人であり、BC1世紀になると二大都市として、周囲の小都市を制圧して覇権を競った。
 
クィクィルコが衰退した原因は南西約15㎞のアフスコ山域にあるシトリ火山の噴火であった。、BC50年頃のシトリ火山の噴火によって、溶岩流に覆われて、人口が激減した。AD1~150年には一度回復したが、200年頃の再噴火により都市は放棄された。
 
溶岩流の厚さは平均して5mに及び深さ10mに及ぶ場所もある。溶岩流は、80k㎡にわたって広がり、最終的にはクィクィルコの街のかなりの範囲を埋めた。街の放棄により、ライバルと目されるテオティワカンの発展に契機を与えることになったと考えら、メソアメリカ全域に爆発する山への恐怖とともに自然の霊威についての信仰がひろがったともいう。
 
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遊歩道のサボテン。
入口からクィクィルコ遺跡への遊歩道を歩く。周囲には各種のサボテンが植えられていて、目を楽しませてくれる。
 
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遊歩道のサボテン。
観光地でもなかなかサボテンを集中的に見る機会は少ない。
 
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遊歩道のサボテン。
クィクィルコを飲み込んだシトリ火山の溶岩流が固まった層が見える。
 
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遊歩道の先に遺跡の円形ピラミッドが見えてきた。
 
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クィクィルコ遺跡の円形ピラミッド。
家族連れの散歩が多い。
クィクィルコはBC1200年頃から農村として居住が始まった。BC1000800年の間に祭祀センターとしての性格を強めた。ピラミッドはその象徴としてBC800150年に3段階に分けて建設された。
 
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クィクィルコ遺跡の円形ピラミッド。
直径110m、高さ25mの四層円形ピラミッド。土と石を突き固めた中心部の周囲に、それぞれ30㎏余りの溶岩石を未加工のまま積んでいる。
 
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ピラミッドの頂上部。
頂上への進入斜道は春分と秋分の太陽の運行に合わせて東と西の2か所にある。
 
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ピラミッドの頂上部からの景観。南西方向。
シトリ火山や遺跡公園の入口方向。ビジャ・オリンピアとはメキシコオリンピックのときの選手村で、現在は高層住宅として使用されている。
頂上はロープにより立入り禁止になっているので、その縁を1周した。
 
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ピラミッドの頂上部からの景観。東方向。
ポポカテペトル山方向。
 
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ピラミッドの頂上部。北東から南西方向。
頂上には祭壇があり、宗教儀式が執り行われた。
 
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ピラミッドから北東下を見下ろす。
進入斜道の痕跡と思われる。北東部には住居群など埋もれた建造物の一部が顏を覗かせている。
 
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ピラミッドから南東下を見下ろす。
キバという遺跡を覆う屋根が見える。その先には付設博物館がある。
ピラミッドから下って、博物館への遊歩道を南東へ進む。
 
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キバ。
キバとは。半埋没した円形の部屋のこと。1923年に発見したカミングスによりアメリカ合衆国南西部のインディアン遺跡との相似性により名付けられた。
内部は赤鉄鉱ヘマタイトにより赤色の線状模様で装飾されていた。宗教儀式に使用されたが、その用途は不明。宗教的沐浴、夏至の観測、神話上の洞窟の再現などの説がある。
 
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ピラミッドの基部。
現在の地表面から10mほど下に当時の地面がある。
 
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ピラミッドの石積み。
大きな玄武岩を積み重ねてできていることや、かつては赤く塗られて幾何学的な文様が施されていたという。
遊歩道を進み、付設博物館を見学する。

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