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Channel: いちご畑よ永遠に
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広島県呉市 大和ミュージアム 海上自衛隊呉史料館 かき小屋宇品店

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大和ミュージアム。巡洋戦艦「金剛」搭載のヤーロー式ボイラー。平成25年10月25日(金)。本日も雨が続き、佐方SAから呉の大和ミュージアムへ向かう。通勤ラッシュに遭遇しながら、9時25分頃、駐車場へ到着。15時51分に出場し、駐車料金は700円。着いたときは10台以下だった。9時開館ながら、入場者は多い。呉は18年前に江田島の海軍兵学校と併せて入船山記念館を見学した。
大和ミュージアムは呉市海事歴史科学館が正式名称なので、呉の歴史や軍艦の工学的説明が多い。せっかくなので、新発見による艦橋復元展も併せて見学。隈なく見たので、館を出たのは、14時30分頃になった。その後、海上自衛隊呉史料館も見学。
なお、呉には2日後の日曜日に護衛艦一般公開、旧呉鎮守府庁舎公開に合わせ再訪した。

大和建艦時の技術が戦後日本の産業発展に貢献したということが強調されていた。新幹線、ニコンの光学技術(測距儀)、自動車生産における科学的管理法など。
呉海軍工廠の支部としておかれた広支廠が広海軍工廠として独立し、第11海軍航空廠となり、海軍航空機の開発と生産に貢献したことを知った。

巡洋戦艦「金剛」搭載のヤーロー式ボイラー は、近代化産業遺産、重要科学技術史資料、建築設備技術遺産に認定されている。呉海軍工廠が設立され、欧米の技術を習得した時代を象徴する産業遺産である。
「金剛」はイギリスのヴィッカース社において大正2(1913)年巡洋戦艦として竣工した。艦には重油と石炭混焼の36基のヤーロー式ボイラーが搭載されていました。ヤーロー式ボイラーは、イギリスのヤーロー社が開発したもので、20世紀初頭の世界の代表的な艦艇用ボイラーであった。
昭和3年からの横須賀海軍工廠における近代化改装の際に撤去され、戦前は東京の海軍技術研究所、戦後は科学技術庁の金属材料研究所の建物の暖房用ボイラーとして平成5年まで使用されていた。

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「大和」型の探照灯には直径1.5メートルの反射鏡が用いられた。厚さ1センチのガラスの裏に銀メッキしたもので、放物面(曲面)となっている。展示品は予備品で残存していたもので、戦後、太陽炉の実験のさい、太陽の光を集める集光器として活用した。このような高性能の放物面鏡を製造するには現代でも多額の費用がかかり、技術的にも困難という。

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起工式のハンマーと進水式の斧。水上機母艦「千代田」は呉海軍工廠で昭和11年12月に起工され、翌年11月に進水式が行われた。
長崎の三菱重工史料館でも多数展示されていた。

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「大和」は、アメリカ海軍機の激しい空爆を受け、昭和20年4月7日午後2時23分、九州南西沖・北緯30度43分17秒、東経128度4分0秒、水深350mの海底に、左に大きく傾き横転しながら沈没した。
現在の船体は主砲火薬庫の爆発により二つに折れており、主砲塔、副砲塔は船体から抜け落ち、右舷のスクリューは海底に突き刺さっている。艦橋は艦首のバルバス・バウの下敷きになっており、マストは抜け落ちた1番主砲塔の船体の穴の横にひっかかっている。海底には船体の破片や各種砲弾、乗組員の靴などが散乱している。
昭和60年「海の墓標委員会」、平成11年「大和プロジェクト'99」の2回にわたる潜水調査・一部遺品の引き揚げにより、「大和」の最期を知る多くの手がかりが得られた。

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「大和プロジェクト'99」潜水調査引揚げ品。バッテリー、海水ホースのノズル、伝声管など。

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大和。10分の一モデル。

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大和。10分の一モデル。艦尾船底部。スクリューが四つついている4軸推進式。 

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ハンモック体験コーナー。

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大和の第一艦橋図。海軍艦政本部第四部(造船部)において作図された模型見取り図。呉海軍工廠で木製の実物大で製作されるために描かれた。特別展示で再現された艦橋の見本となった。

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大和の第一艦橋図。

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第一艦橋装置標準。絹本。縮尺1/25。戦艦比叡でテストされた艦橋改装を踏まえ、大和型の艦橋の艤装を検討する図面として作成されたと考えられる。これも特別展示で再現された艦橋の見本となった。

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第一艦橋装置標準。

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特別展示で再現された艦橋。中に入ると、前方がスクリーンとなっていて、敵艦発見から砲弾発射までが映像・音声により疑似体験できる。

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艦橋の概要図。

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武蔵艦橋内の昭和天皇。

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3階から見下ろす大和。

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零式艦上戦闘機六二型。1階大型資料展示室。零式艦上戦闘機の開発には、広海軍工廠で研究・開発された技術が活かされた。機体全てを金属で製作する技術、運動性重視から主翼を片方だけで支える強度維持の技術、桁と外板で主翼の強度を保持する技術などは、日本国内では広海軍工廠から始まった。
映像コーナーがあり、大和乗組員、遺族の証言を全部視聴した。同様の映像コーナーが各所にあり、ほとんど視聴したので随分時間を要した。展望室から眺めると、外は雨が降り続いていた。
14時30分頃館を出て、駐車場へ行き、車内でスナックを食べて、道路向かい側の海上自衛隊呉史料館(てつのくじら館)へ向かった。

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機雷。海上自衛隊呉史料館(てつのくじら館)。入場無料。1階は、戦後日本の復興を陰から支えた航路啓開活動から、湾岸の夜明け作戦における国際貢献まで、掃海部隊の活動を紹介している。
朝鮮戦争での掃海で死者が出た話は知っていたので、戦後の海自は掃海から始まったということ。
機雷の種類と技術の展示からは、機雷の進化とその駆除がいたちごっこの有様になっていることが分かる。
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掃海具、掃海艇甲板再現。現代の掃海具や本物の掃海艇で用いられていたクレーンや巻揚げ機などを用いて、掃海艇の甲板の様子を再現している。掃海作業の様子が映像で紹介されている。

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80式魚雷。戦前の潜水艦開発から空白のときを経て、戦後はじめて、米国から供与された潜水艦「おやしお」から続く潜水艦の変遷を模型などで紹介している。
80式魚雷は我が国初の有線誘導ホーミング魚雷である。目標の位置をつかんだ潜水艦から発射され、有線で誘導されながら目標に向かって進む。魚雷のホーミング機能により目標を追尾し、確実に命中する。次代の89式魚雷も同形式で、今日では有線誘導が世界の趨勢になっている。

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艦内生活。

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展示用潜水艦「あきしお」。あきしおは、全長76m、重さ約2000t、1986から2004年まで、実際に海上自衛隊で使用されていた。実物の潜水艦に乗艦して、艦長室や士官室などが見学でき、潜望鏡を覗いて、実際に呉湾に停泊中の艦船を見ることができる。性能が良すぎて、見てはいけない場所もあり、そこは見えない工夫がされている。

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展示用潜水艦「あきしお」。下の階にある魚雷発射室。
展示用潜水を見学したのは、パールハーバーのボーフィン号以来2度目。第二次大戦時の潜水艦より艦体が大きくなっている。トム・クランシーの原子力潜水艦の本を読んだことがある。
1時間余り見学。16時近くと予定よりかなり長く見学した。雨が小止みになってきたので、内陸部にある重文の本庄水源地堰堤水道施設を見学しようと、向かった。道路からは遠望できたが、水道施設に着くと、入場禁止になって見学不可能だった。下流に戻ってアクセスしてみたが、やはり施設へ入れないようになっていたので諦めた。
広島市へ戻って、カキでも食べることにした。

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かき小屋。宇品店。広島みなと公園内の仮設小屋。昨日の元安橋近くの観光案内所でチラシを入手した。テレビのローカルニュースで10月18日県内各地で開店と知った。店員に駐車場はと、尋ねると、用意してない、皆さんは。公園の有料駐車場を利用しているようです、とのこと。結果的には200円程度だった。

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かき小屋。牡蠣を焼いて食べるのは初めてだった。カキ一盛り11000円。炭代が300円、ライスが300円。自分で網に乗せて、焼けたらへらでこじ開ける。カキだからまずくはないが、生で食べた方が美味いと思う。寒い季節なので、野菜も焼いて食べられるが、高い。欧米人は通常は生で食べるし、私も欧米では生でしか食べたことがない。欧米人も結構来ていたが、どう感じるか気になった。
ある程度、腹がふくれたので、定宿の佐方SAへ帰った。

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