2014年11月28日(金)。
早朝、グアナファトから長距離バスに乗り、メキシコ・シティへ向かう。市街地から市バスでバスターミナルに向かおうとしたが、ミニバスの行先がさっぱり分からない。仕方ないのでタクシーを利用。バスターミナルに着いたのはいいが、メキシコ・シティ行きのバスは意外に本数が少なかった。7時台の次は10時しかない。時刻を確かめるか、昨日着いたときに乗車券を購入しておけば良かったのだが、楽観しすぎていた。
メキシコ・シティの北ターミナルに着いて、テオティワカン遺跡を見学する予定なのだが、どうなるかと思いながら乗車。運の悪いことにメキシコ・シティ市内に入ると渋滞が激しかった。14時30分に着く予定が15時30分過ぎになり、北バスターミナルでなく、その手前で多くの乗客とともに降りて、メトロ駅からメトロに乗車した。テオティワカンへは時間がないので諦めて、ソチミルコへ行くことにした。日程からすると、この日しかない。世界遺産であり、メキシコ・シティーの大半が5つの湖を埋め立ててできたことを実感するにはうってつけの場所である。
北から市内南端のタスケーニャ駅へ向かうのだから効率が悪いのは仕方がない。
メトロタスケーニャ駅に着くと、16時を回っていた。路面電車では遅いので、タクシーを使った。ソチミルコで船に乗ると伝えるのに苦労する。船着き場も9カ所あるが、どこにするのか尋ねられても分からない。結局、歩き方に記してある船着き場で下車。
船着き場には客はいない。船頭が10人ほどたむろしている。料金表を見ると、2時間からで1万円ほどする。歩き方の記載よりはるかに高い。10人ほどで貸切にするのが通常の方法なので、個人では高くなってしまう。
船頭に乗るのかと尋ねられたが、迷った。近くに別の船着き場がないか歩いて探したが、なかった。戻って、もう一度交渉すると、1時間350ペソでいいという船頭がいたので頼み、17時15分頃に船に乗った。
メキシコシティの中心部から南へ車で1時間ほどのソチミルコ地区は運河が非常に多いことで知られる。これらの運河は、古代にメキシコ盆地に広がっていた湖の一つ、ソチミルコ湖の名残である。チナンパが浮かぶ運河網の景観や文化は、1987年にはメキシコ・シティの歴史地区とともにユネスコの世界遺産にも登録されている。
岸辺には家屋や船着き場が並び、祝日などには多くの観光客が運河を訪れる。また食事や楽団(マリアッチ)を用意して船を借り切って運河をクルーズする家族も多い。運河を行くトラヒネラという船は人力で進む船で、船乗りが竿を運河の底にさし、進んだり方向を変えたりする。
住居や食堂も多い。
遊覧船と行き交う。地元の子供も船を操っている。
チナンパらしき小島がないかと捜す。
チナンパは、古代からの耕作方法であった。浮き畑農法と誤訳されるが、実際に浮いているわけではない。杭で四方を囲み、そこに養分たっぷりの湖底の泥を積み上げて造った畑である。
チナンパの起源は先古典期にさかのぼると考えられており、後古典期後期のメキシコ盆地では120平方kmにおよぶチナンパが盆地南部のチャルコ湖とショチミルコ湖を中心に広がり、アステカ王国中心部の繁栄を支える基盤となっていた。
前近代の世界中の農法の中で最も収穫率のよい農法といわれるチナンパでは、トウモロコシ、インゲンマメ、チリ、トマトなどの作物やマリーゴールドやダリアなどの花、食用のハーブ類も栽培された。
水辺に花が咲いている。
岸辺に杭が見える。
チナンパはもとはメキシコ中部の湖水地帯の農法であり、アシなどの長い草を刈りとって積み上げたものを水面に浮かせて編み枝で囲い、湖底から集めてきた泥をその上に載せ浮島のようにし、その上に穀物や野菜などを栽培するというものであった。泥の養分と周りの湖の水により作物をよく育てることができた。彼らはチナンパの上に柳の木を植えたが、柳は早く成長してその根を湖底にまで下ろして根を張ったので、これでチナンパを一定の場所に固定することができた。
2隻をつなげているようだ。
乗船客たちが上陸してパーティーをしている。
18時を回ると暗くなり、風も冷たくなってきた。
船着き場に着き、船頭にチップ50ペソを渡した。
市街地へ帰るにはメトロ・タスケーニャ駅行きのバスもあるようだだが、分からない。徒歩で路面電車のソチミルコ駅へ向かう。
夕方とあって、乗客は多い。駅を出ると路面電車らしくなる。途中の駅で、全員列車から降ろされた。理由は分からないが、こういう国では仕方がない。駅に来た次の電車に乗り、タスケーニャ駅へ。そのまま宿の「サンフェルナンド館」へ向かった。
翌日はプエブラ、チョルーラへ日帰りの見学