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メキシコ クエルナバカ カテドラル その1

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モレーロス州州都クエルナバカ。フアレス公園付近。
2014年12月1日(月)。
本日がメキシコ旅行の最終日。日程は日本を出る前に全て確定し、クエルナバカのホテルも予約しておいた。121日の午後以降はメキシコ・シティー市内観光用の予備日にあてていて、結局テオティワカン遺跡が残ってしまった。
タスコかクエルナバカか迷ったが、クエルナバカの方が幹線道路上にあり、メキシコ・シティまで1時間余りと交通が便利だったため選定。カテドラルに長崎26聖人処刑図が残っているので、これだけが、主目的。
 
前日、アカプルコから1520分発のクエルナバカ行きのバスに乗車した。730分過ぎに、クエルナバカのエステージャ・デ・オロ社のバスターミナルに到着。夜なので、市バスの運行状況がよく分からない。歩き方の地図でも、このバス会社は地図外なので、正確な位置は不明。仕方なくタクシーで市街地へ向かった。ソカロから北西徒歩10分ほどの宿は1泊約2000円。
 
121日(月)8時前、宿に荷物を預け、カテドラルはあとにして、まずソカロとコルテス宮殿方面へ向かった。市内はまだ閑散として、洒落た格好をした女子学生の後を歩くと、フアレス公園が見えてきた。
 
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モレーロス州州庁舎。
クエルナバカはメキシコ・シティーの南わずか 80 km ほどのところにあり、支倉常長一行もアカプルコからクエルナバカへ向かう途中で立ち寄った交通の要衝でもある。
1年中花が咲き乱れる快適な気候のため「常春の町」として知られ、古くはアステカの王やコルテスなどの征服者、王族や芸術家、さらには引退生活者までが保養地や住居として利用してきた。
コルテスが町の中心に宮殿を建ててから、コロニアル都市として発展した。
クエルナバカとは、スペイン語で「牛の角」という意味。
 
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モレーロス州州庁舎。アルマス広場。サパタ像。ベンチと人形。
 
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サパタ像。
エミリアーノ・サパタ(18791919年)はモレーロス州に生まれたメキシコ革命の指導者の一人。農地解放を提唱した革命の英雄。
 
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コルテス宮殿。
アルマス広場の南東にある。
 
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コルテス宮殿。
1530年に征服者コルテスが創建した城砦風の宮殿。この場所にあったアステカの神殿を破壊して、その石材を利用して建てられた。
 
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コルテス宮殿。
月曜日は休館日なので入場できない。フリーダ・カーロと結婚した直後のディエゴ・リベラが2階に壁画を描き、アメリカ大使と知り合いになった場所である。
カテドラルへ向かう。
 
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カテドラル。入口の門。
西側からアルマス広場のある東側方向へは緩い傾斜で下っている。
カテドラルの周囲は高い壁で囲まれている。カテドラルは1529年にコルテスによって建てられた。
アメリカ大陸でも最古の教会の一つ。
当時は先住民の反乱が相次ぎ、スペイン人植民者たちは教会の敷地内に立てこもって防戦したためという。
 
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カテドラル。入口から聖堂までの左右は樹木のある広い庭園になっている。
 
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カテドラル。
道の左右に赤い花が植えられている。
 
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カテドラル。
城砦のような外観。
 
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カテドラル。
聖堂入口から門の方向を振り返る。
 
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カテドラル。内部。
祭壇は簡素というか、何もない。
左右の壁に長崎の殉教壁画が描かれている。
 
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カテドラル。門。
重厚な鉄の門。祭壇の向かい側にある出入り口から外に出てみた。
祭壇からの軸線方向からすると、こちらが正式な入口のようだ。

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