死者の道からケツァルコアトルの神殿のある城砦地区へ着く。世界遺産テオティワカン。
2014年12月1日(月)。
ケツァルパパロトルの宮殿から死者の道を南に歩き、遺跡南部のケツァルコアトルの神殿へ向かった。太陽のピラミッドから先は舗装道がなく、遺跡のなかを歩くが、歩きにくい。10分ほどで、舗装道が再開され、ケツァルコアトルの神殿のある城砦(シウダデラ)地区へ着いた。城壁の中程に、神殿方向への入口がある。
ケツァルコアトルの神殿。
神殿はAD150年から200年の間に建設された。一辺65m、高さ20mでテオティワカンでは3番目に大きな建造物。
ケツァルコアトルの神殿。想像図。
7層の斜面・パネル面で構成されている。
ケツァルコアトルの神殿。
壁面は貝の間を進む「羽毛のあるヘビ」の石彫などで装飾されている。
ケ
ツァルコアトルの神殿。
壁面は貝の間を進む「羽毛のあるヘビ」の石彫のある層と、雨の神「トラロック」、動物の頭のある石彫の層が交互に繰り返されている。
ヘビは花弁の間から首をだし、体は花の間に入っている。ヘビとは別に、大きな牙をもつ怪獣も彫られている。二つの丸と脇の二つの丸(目)があり、顎の下や顎に向かって段々が付けられ、碁盤目文様が刻まれている。最近の研究では、雨の神(トラロック)ではなく、ヘビを抱える頭飾りと解釈されている。
ケツァルコアトルは人間の活動の創造主で、国土や暦を造ると考えられた。この神殿は時間(暦)に捧げられたという説がある。
ケツァルコアトルの神殿。壁面。
人身供犠と供え物。
神殿建設にともなうAD150年~250年の間の年代の人身供犠の遺体が神殿の周囲から発見されている。
遺体は屈葬で、両手を後ろ手に縛られている。多くは13歳から55歳の男性で、頭蓋変形、手足切断をされているものもある。
供犠物には人間の顎骨や犬の歯で作られた首飾りなどもある。
ケツァルコアトルの神殿から北方向。
太陽のピラミッド。月のピラミッド。背景に聖山セロ・ゴルド山。
ケツァルコアトルの神殿から西方向。
基壇の手前の白いテントは地下トンネルの発掘現場である。トンネルは神殿の真下へ向かって掘られている。昨年、数千点の遺物が発見された。発掘調査は現在も進行している。
右側に穴らしきものがあり、数人が中を覗き込んでいる。
発掘現場横の地下への入口らしき穴。
これが、トンネルとどうつながっているかは分からない。
NHKスペシャル2014年10月26日(日)放送「謎の古代ピラミッド~発掘・メキシコ地下トンネル~」を中国語海賊サイトでさきほど視聴した。
リアルタイムで見たはずなのに、その時は理解できなかった。今年春のペルー遺跡見学を終えてみると、なかなか示唆に富む素晴らしい内容の番組であった。1年後にようやく理解できた。
トンネルは太陽が運行する過程を表すという仮説がある。トンネルの西入口から入り、神殿の真下から昇る。トンネルは冥界で水に満たされている。西の海に没し、東の海から現れる。
球戯は太陽信仰に基づく。
月のピラミッドは太陽が西へ沈む位置から雨季の始まりと終わりを知らせる。1世紀には小さい月のピラミッドしか、この地域にはなかったが、農耕の暦を知るために人々が集住しだした。初めに、神殿ありき。ペルー遺跡の東大研究者たちの意見と同じだ。
月のピラミッドの大きさは105単位で雨季を表し、太陽のピラミッドは260単位で乾季を表す。
ケツァルコアトルの神殿から北方向。
死者の道の先には月のピラミッドと聖山が見える。
13時30分に入場し、16時30分になった。今夜22時55分の飛行機に乗らねばならない。
バス停のあるプエルタ2へは、死者の道を引き返さず、神殿西のプエルタ1へ出て、自動車道の横を歩いて向かった。10㎏ほどのザックをかついでの歩きはこたえる。
プエルタ2付近のバス停に着き、バスが何時くるか不安になったが、15分ほどで来たので助かった。
1時間ほどで北バスターミナルに着き、メトロでブエナビスタ駅へ行き、よく通ったウォルマートでコーヒーを買い込んで、歩いてイダルゴ駅まで行き、空港行きのバスに乗った。
アエロメヒコに乗り込んで、12月3日早朝成田に着き、24日間の旅を終えた。