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和歌山市 岩橋千塚古墳群を歩く 知事塚・郡長塚の由来

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前山A
23号墳。岩橋千塚古墳群。和歌山市。紀伊風土記の丘。
平成27116日(金)。
 
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前山A23号墳は1号園路の東に面して(標高6065)いる。A23号墳は北西むきのやや急な斜面に位置し、直径約14m、高さ約3.5mです。内部主体は、全長約3.8mの横穴式石室で、玄室には石棚と石梁1本が見られる。入口付近の盛土から須恵器片が見つかっている。古墳時代後期(6世紀)に造られた。
 
資料館を見学後、周遊路を登って古墳の見学を開始した。資料館の上部にある前山A地区へは直登に近いので、けっこう傾斜が急な坂道となっている。上りよりも下りの方が楽で、ウォーキングする人々は、西の大日山35号墳方面へ長距離だが緩やかに登って、稜線を東に歩いて前山地区へ至り下るというルートをたどっていた。各古墳へは舗装道路に沿ってあるわけではなく、中腹を回り込んだ枝道を辿ることになるので時間を要する。
 
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前山A
46号墳。
 
 
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前山A46号墳は、直径約27m、高さ約8mの円墳で、古墳の中には横穴式石室が造られている。石室は長さ8.8m、高さ3.4mあり、石棚と石梁4本がある。玄室の床面は、川原石が敷かれ、その床面の下には玄室に溜まった水を外に導き出すよう排水の溝が造られている。羨道部前方の盛土から須恵器壷・台付壷・蓋(ふた)、墳丘上から陶質土器高杯が発見されている。古墳時代後期(6世紀)に造られたと考えられている。
 
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前山A
46号墳。羨道入口。
 
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前山A
46号墳。玄室入口。
 
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展望台。紀ノ川と和泉山脈の眺望。
稜線取り付きに東屋があり、熟年男性2人が休んでいた。展望もあるが、稜線をさらに西へ進むと、本来の展望台に至った。
 
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紀ノ川と和泉山脈の眺望。
和泉から紀伊へ入る峠や、紀ノ川から古墳群は見えていたであろう。紀氏集団の威光を示す意図でこの地が選ばれたに違いない。
 
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将軍塚古墳(前山B
53号墳)。

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将軍塚古墳は、海抜約
150mの岩橋前山山頂付近にある前方後円墳(全長約42.5)である。この古墳には、横穴式石室が前方部と後円部にそれぞれ造られている。
見学できる後円部の横穴式石室は、羨道・玄室通廊部・玄室があり、玄室の床から天井までの高さは約4.3m。石室には一枚の板石からなる石棚と、石梁が1本あり、羨道にも1本の石梁(扉石を支える施設)があります。羨道は2枚の扉石で閉じられ、玄室よりも約20cm床が高く造られている。玄室の床には川原石が敷きつめられ、床下には玄室に溜まった水を石室の外に排水できるように溝がめぐらされている。
すでに盗掘を受けていたため、どのような副葬品がおかれていたかは不明だが、後円部石室からは銀環・玉類・鉄器・壷や高杯の一部が、前方部の石室からは須恵器や馬具の破片などが見つかっている。
 
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羨道。玄室入口。
 
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玄室上部。
 
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玄室下部。
 
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知事塚古墳(前山B67号墳)。
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 墳長約34.5mの前方後円墳で、北に造出と考えられる突出した部分が造られている。主稜線上より若干北に築造されており、前方部を東、後円部を西に向けている。
主体部は後円部に横穴式石室、前方部に小型の横穴式石室と竪穴式石室が確認されているが、保存のために埋め戻されている。周辺では埴輪や須恵器の存在が確認されている。
 
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郡長塚古墳(前山B112号墳)。
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長さ約30.5m、後円部径約22m、前方部幅約16mの前方後円墳。前方部を主稜線側に、後円部を北へ派生する尾根上に配して築造している。後円部には、石棚と石梁のある長さ3.7m、幅2.0m、高さ3.3mの玄室をもつ横穴式石室が造られています。石室は公開されていない。
 
「知事塚」「郡長塚」の由来。神坂次郎「熊野まんだら街道」より。
旧藩時代、田辺藩の飛地であった岩橋千塚付近が、地元の西和佐の村有地になったのは明治初年である。その頃、一人の若者が植木を掘るため、この山に登った。松の木を倒した瞬間、その根方に開いた穴の向こうに、奇妙な石組の空間を見た。
覗きこんだ若者の目に、きらっと光った碧玉や金銀の装飾品の輝きが飛び込んできた。思いがけない宝物を両手一杯に抱えてきた若者の姿に、村中は沸騰した。爺さん婆さんから子供たちまで、鍬をかついで山に走った。たちまち発掘される古墳数十カ所。宝物は大阪の古美術商・古物商に流れ込み、村を潤した。

海草郡長も知事閣下も目の色を変えて飛んで来た。村人を制止するためではない。盗掘のためである。この盗掘騒ぎも、やがて警察が動きだして止んだ。
騒動のあとに「郡長塚」「知事塚」の名だけが残った。世間とは皮肉なものだ。地方長官たちが出土品を狙い、部下を叱咤して盗掘した古墳を記念して、その名を捧げたのである。
 
稜線をさらに西へ進み、大日山35号墳へ向かう。

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