平成27年11月7日(土)。和歌山市。
友ヶ島は5年ほど前からテレビ・ネットで話題になった。大阪府岬町の道の駅「とっとパーク小島」で起床。前日、17時前に駐車場へ到着。釣り客用には駐車順が指定されているが、金曜定休のせいもあり一般客の駐車位置が不明。30分後に釣り客が来て、向かい側のカラーコーンの場所を教えてくれた。
7日は早朝から釣り客が釣り場へ向かい盛況だった。8時頃に道の駅を出て15分ほどで、加太港の橋の上に着いたが、友ヶ島行の桟橋が分からない。橋近くの駐車場の係員に尋ねると、橋の下にあるという。東側から大回りして、橋の下の駐車場に8時25分頃到着。
運航は火・水運休で本数も少ない。第1便は9時発。往復2000円。JAF割引適用を忘れた。パンフレットを貰い、友ヶ島発11時30分か13時30分か検討。灯台・第3砲台跡コースは歩行時間1時間20分、所要時間2時間30分とある。9時20分に島に着いて、何とか11時30分に乗船することを目標とした。
定刻到着。
灯台方向へ進む海岸沿いの道路は崩壊のため、通行止めになっていた。迂回路を海岸沿いへ曲がると、第5砲台跡に出た。
明治政府は、大阪湾防衛のため、旧陸軍は明治22年から淡路島の洲本由良を中心に、和歌山県の友ケ島と加太地区にまたがる砲台(由良要塞)の建設を始め、日露戦争に備えた。以後、第二次大戦敗戦まで一般人は立入り禁止とされた。
旧台において明治5年6月27日初点灯。新台において明治23年8月5日再点灯。
英人技師ブラントン設計により、日本で8番目にできた石造の洋式灯台で、明治5(1872)年竣工。和歌山県では、樫野埼、潮岬に次いで3番目に建設された。
灯台の位置が砲台建設の最適地であったため、1890年、灯台を当初の位置から東方へ25メートル移設させ第1砲台を建設した。
9時50分頃到着。
灯台西にあり、日本標準時子午線(東経135度)が通る日本最南端の地。
潮だまりにカニや小魚が見えると期待したが、見えなかった。かえって、岩の海苔のため転んで、腕を擦りむいた。
10時30分頃到着。
友ケ島灯台。淡路島由良方面。こんなに近いとは思わなかった。このあたりの紀淡海峡は潮の流れが早く、釣り船は苦労すると、近くで枝切り作業をしていた男性が語っていた。通過する船舶が見えた。
山頂の東にある第3砲台跡へ向かう。