平成27年11月11日(水)。和歌山県日高川町和佐。
手取城は室町時代の山城で、室町幕府奉公衆で有力国人であった玉置氏の居城である。城跡の規模は大きく、残存状態も良好。眺望も絶景であった。
日高川町の中流域にある道の駅「SanPin中津」から下流方向にある手取城跡へ向かった。道標に従い枝道を登ると、広い空地に駐車場があった。城跡まで行けるという情報もあったが、素直に停めることにした。
駐車場から徒歩5分ほど。
道路左右には西端の堀切がある。
舗装道を15分ほど歩いて、東の曲輪に着く。舗装道の前半は離合不可、後半は離合可。道幅は狭く、ガードレールもなく、下は深い崖になっている。
書籍または雑誌の抜き刷りが掲示されていた。
永禄5(1562)年畠山高政に従い、三好長慶と戦う。織田信長に従い、日高郡・有田郡に1万石余を領有した。天正13(1585)年、羽柴秀吉の紀州侵攻のさい、玉置直和は秀吉に恭順したが、養父であった御坊の湯川直春によって攻め落とされた。直和の子永直は羽柴秀長に仕え、手取城に復帰する。関ケ原の戦いで西軍に属し、没落したが、子孫は紀州徳川家に仕えたという。
駐車スペースが広く、簡易トイレがある。
手取城址碑がある。
御坊市海岸方向。公園化されてベンチがある。
正面の右上が本丸。左に西の丸へ下る遊歩道がある。
小学生たちの植樹があるが、史跡保存面は問題があるので撤去すべきであろう。
正面は御坊市の有力国人湯川氏の居城亀山城方面。紺碧の太平洋が目にまばゆい。絶景。
織豊時代のものとみられる。
のろし台付近の土塁から右上の本丸方向を眺める。
西の丸下の水の手曲輪へ下る道は状況が悪いので省略した。
雨続きのあとの晴天となり、久し振りに海が見えて気分が良くなった。駐車場に戻り、北西方向にある道成寺へ向かった。