継桜王子跡。熊野古道。中辺路。
平成27年11月13日(金)。和歌山県田辺市。
道の駅「熊野古道中辺路」で起床。前日、滝尻王子から近露王子まで歩いて筋肉痛があること、近露から発心門王子まで歩くと、バスでの帰路に時間がかかること、田辺市の見学時間が多いこと、天候が下り坂なことにより、歩きは止めて、継桜王子跡の見学だけにとどめた。後日、発心門王子から本宮大社までは2時間ほどで歩いた。
野中の一方杉バス停から坂道を登り、野中の清水を通り越した集落の中にある駐車場に駐車。歩道を登って継桜王子跡まで数分で着く。
社前の杉は野中の一方杉といって、枝が南の熊野那智大社の方向へのみ伸びていることで、野中の一方杉とよばれている。
石段下には平成四年の「皇太子殿下行啓記念」碑が建てられている。この石碑は行啓した熊野古道の各所に建てられているが、どこも目立ち過ぎている。
継桜王子跡。熊野古道。中辺路。
東側から見る野中の一方杉。南方熊楠が保存に取り組んだという。
とがの木茶屋。
継桜王子跡の東側にある。茅葺屋根がいい。江戸時代の旅人が表れそうな雰囲気がある。
下へ降り、野中の清水へ。
野中の清水。名水百選。
周囲は昔から水の不便なところだったが、この水は日照りでも絶えることがなかったという。
野中の清水。名水百選。
熊野詣での名所として古くから歌枕になっている。古今和歌集に「いにしえの野中の清水ぬるけれど もとの心を知る人ぞくむ」と詠われている。
欄干の下に水汲み場がある。
野中の清水。名水百選。
水温15度の水はそのまま飲用に適する。取水口は3か所ある。
空のペットボトル10ℓ分をザックから出して、水を汲んでいると、20人ほどの団体がやってきた。先に来ていたので、助かった。
服部嵐雪の句碑。野中の清水。
「すみかねて道まで出るか 山しみづ」。松尾芭蕉の門人・服部嵐雪は宝永2年(1705年)5月仲間7人とともに伊勢と熊野を詣でたあと、田辺に向かう道中に句を詠んでいる。
斎藤茂吉の歌碑。野中の清水。
「いにしへのすめらみかども中辺路をこえたまひたりのこる真清水」。斉藤茂吉は、1934年(昭和9年)7月に土屋文明とともに熊野を訪れ、自動車で白浜に向かう道中に、野中の清水に立ち寄り、短歌を詠んでいる。
田辺市方面へ戻る。まず、北部にある奇絶峡へ向かうことにする。稲葉根王子付近に田中神社への道標があったので、立ち寄ってみることにした。道路を進むと、開けた平地に小さな森が見え、駐車場が道路脇にあった。
田中神社。岡藤。上富田町。
岡小学校の下流の県道沿いの田の中に田中神社がある。この神社の境内は、約8アールというごく小さな森で、全体が藤で覆われている。この藤は南方熊楠によって学会にも報告されて有名になり、昭和31年にこの森全体が県指定天然記念物第1号として指定され保存されている。
奇絶峡。田辺市。
奇絶峡は田辺市の会津川の上流にある渓谷で、春の新緑や桜、夏の涼しげな不動滝、秋には紅葉と、四季折々の渓谷美をみることができる。
ユニークな形をした大小無数の奇岩がいたるところに点在しており、中でも不動(赤城)の滝のはるか上方、一枚岩に刻まれている堂本印象画伯の原画による「磨崖三尊大石仏」が知られる。付近には熊野行者の行場があった。
南方熊楠は、神社合祀反対を訴えて東京帝国大学教授松村任三にあてた2通の手紙(『南方二書』)に、奇絶峡について絶景の地であり、珍しい植物があること、また地質学、考古学上も参考になる岩があると書いている。
奇絶峡。不動の滝。
不動の滝から磨崖三尊大石仏へ。
石仏の場所が分からず、橋を渡って不動の滝へ向かうと、道標があった。
磨崖三尊大石仏。
滝からかなり高い坂道を登った地点にある。摩耗が進んでいるのか不鮮明で、図像もありがたいものではない。
車道から見上げる磨崖三尊大石仏。
中腹にあるが、実際に立ち寄っていないと気が付かない。
田辺市街地へ向かう。