赤道記念碑。キト郊外。
2015年6月3日(水)。
赤道記念碑は、キトの北約22kmにあり、北半球と南半球を分ける赤道上に建てられている赤道記念碑のこと。
歩き方にはメトロバスのオフェリア駅から赤道記念碑までのバスを紹介しているので、挑戦してみた。路線は旧市街から北を通っている。ホテルでバス停を聞き、旧市街北外れの街路を歩いても、なかなか分からない。ミッタード・デル・モンドと叫んで学生に尋ねると、これに乗れとバスを教えてくれた。満員のバスはキト中央大学、旧空港を通り、オフェリア駅に着いた。構内に赤道記念碑行きのバス停があり、バスが来て乗車。赤道記念碑のある町に着いたが、問題は終点が赤道記念碑前でないことで、町外れのバスターミナルに到着。どうしたらいいか分からずにいると、別のバスがきて、同乗してきた客が乗ったので、赤道記念碑へ行くのかと尋ねて乗車し、数分後にようやく赤道記念碑前に着いた。運賃は3回合計で64セント。
赤道記念碑前は見て分かるが、左横には会議場らしい立派なビルがあった。
赤道記念碑。
記念碑内入場できる入場券を6ドル払って公園に入場。10時30分頃で、客は少ない。レストランの呼び込みを聞きながら、高さ30mの記念碑の前に進んだ。
赤道記念碑。
1735年フランス科学アカデミーで,地球の正確な形状について激しい議論がされ。ニュートン説の支持者は地球は両極がやや平たくなった球であると主張し,カッシーニ学派の支持者は赤道部が平たくなっていると主張した。そこで、1736年に地球の湾曲度を測るために二つの探検隊が送られ,一つは北極のラップランドへ,もう一つは赤道のある現在のエクアドルへと向かった。調査の結果,ニュートン説が正しいことが分った。
1936年フランス人による探検200周年を記念して,キトの近くに記念碑が建てられた。それは,18世紀のフランスの科学者たちにより緯度0度,つまり赤道と定められたラインの上にあり、大勢の観光客が、赤道を表す線をまたぎ,北半球と南半球の両方に立つことができるとされている。
しかし、近年GPSにより、実際の赤道は300mほどずれていることが分かった。そこは、北隣の赤道博物館内に表示されているという。
赤道記念碑の展望所から見下ろす。
公園内にはレストランや土産物屋がある。その先は、サン・アトニオの街並み。
コチャスキ遺跡出土品。赤道記念碑内の展示。
内部にはエクアドル各地の民族文化の展示がある。キトの北約52㎞にあるコチャスキCochasquí遺跡は、先コロンビア時代では国内最大の遺跡という。15基のピラミッドと14基の墓が確認されている。そのうち一つのピラミッドは天体観測や暦に関わる神殿で、祭祀の場でもあった。
太陽神崇拝の地コチャスキの神殿のひとつは、6月24日、サソリ座がコチャスキの神殿の垂直線上に来るように正確に配置されている。
また、フランスの学者たちが来るよりはるか昔に,先住民たちはすでにGPSで修正された赤道の正確な位置を知っていたという。1997年,キトのやや北にあるカテキーヤ山の山頂で半円形の壁の遺跡が見つかり、調査をしたクリストバル・コボは,衛星技術を使ったGPSによって,壁の一方の端が赤道の真上にあることを発見した。壁の二つの端を結んだ線は,赤道に対して23.5度の角度になっていて、それは地軸の傾きとほとんど同じであった。研究者たちがカテキーヤ山頂で経緯儀を使って測定したところ,コチャスキにある先インカ期のピラミッドは,夏至に太陽が昇る方角に位置していることが分かったという。
コトパクシの民族衣裳。
コトパクシ県はキトの南西に隣接した県。コトパクシは「月の首」という意味、と説明文がある。コトパクシ山は標高5897mで世界一高い有名な活火山として知られる。
アマゾン地域からの出土品。
赤道記念碑公園を出て、赤道博物館(インティ・ニャン)を捜したが分からなかった。疲れたので、ロータリーへ帰る途中のピザ屋でピザを食べ、近くのバス停から、オフェリア駅行きのバスに乗車してキト市内へ戻り、エクアドル・ナショナル博物館(中央銀行博物館)へ向かい。エル・エヒド公園で下車した。通行人に尋ねながら、博物館へ向かった。
意外と人通りの多い商店街が続く。使い古したサングラスが午前中壊れたので、途中の道端でサングラスを買った。8ドルの値札が付いていたので、5ドルにまけさせた。今も使っているが、UVカットの機能が本当にあるのか不安になる。再び公園があり、その先にバス停と写真で見ていた博物館を含む文化施設の建物が見えた。
エクアドル・ナショナル博物館(中央銀行博物館)。
最初に航空券を予約したときは、ガラパゴスへはグアヤキルから行くことにして、キトは予定していなかったが、縄文文化に似た土器を出土したバルディビア文化をこの博物館が展示していることを知り、キトを見学することにした。
博物館内には銃を持った警備員が巡回しているので、撮影禁止は守らざるをえなかった。
展示は、エクアドルの海岸地方に位置するBC6000年ごろのラスベガス遺跡などバルディビア文化以前の遺跡からの出土品のコーナーから始まり、インカ時代まで各時代の文化段階を詳細に紹介し、多数の展示品が陳列されている。肝心のバルディビア文化の土器はそれほど縄文土器には似ていなかった。しかし、ペルーと同程度に先インカ時代の文化が存在していることは意外だった。
のちほど見学した「アラバドの家・プレコロンビア美術館」では豊富な展示を見ることができ、写真撮影も可能だった。
バスに乗り、世界遺産セントロ・ヒストリコ地区へ移動。
独立広場。世界遺産セントロ・ヒストリコ地区。
西側にはカテドラルがあり、のちに見学した。
独立広場。世界遺産セントロ・ヒストリコ地区。
西側のカテドラルと北側の大統領府。
独立広場。世界遺産セントロ・ヒストリコ地区。
大統領府。世界遺産セントロ・ヒストリコ地区。
内部見学ツアーは時間がかかるのでやめた。
通りを西に進み、アラバドの家・プレコロンビア美術館をめざして歩いた。