ガラパゴスゾウガメ見学の農場エル・チャト。
2015年6月4日(木)。ガラパゴス諸島。サンタクルス島。
島内半日ツアー。ロス・ヒメロスでスカレシア、フィンチ、青目鳩をみたのち、エル・チャトへ移動。
ここでは、草を食べにやってくる野生のゾウガメを見ることができる。ゾウガメは海岸近くから山頂付近まで、1日に5㎞移動するといい、植生の豊かなここで草を食べる。野生化したパッションフルーツやグアバが大好物という。
農場エル・チャト。
正式にはプリミシアス農場という。カメから2m以上離れてくれと書いてあるが、実際にはすぐ横に座って記念写真を撮ってもらった。
ダーウィン研究所では横で一緒に写真という訳にはいかない。もっとも、禁を犯して野外ゲージの中に入って、横で記念写真を撮ってもらう南米系観光客を目撃してしまったが。
園内。
施設の左側から入場し、長靴に履き替えてから、ガイドに付いて泥道の園内を歩く。
ガラパゴスゾウガメ。
水溜まりに3匹。水に浸かるのは、日差しで暑くなった体を冷やすためや、寄生虫や蚊などを避けるためといい、俗にいう甲羅干しである。
ガラパゴスゾウガメ。
親ガメ、子ガメ、孫ガメだろうか。
ガラパゴスゾウガメ。
観光客は近づいて観察できる。
ガラパゴスゾウガメ。
最大甲長130cmとリクガメ科最大種。体重300kg。鼻孔は円形。
島の名前のガラパゴスとは、スペイン語の「galapago(陸ガメ)」に由来している。1535年に島を発見したスペイン人の水夫が、島に生息する多数のカメを見て名付けたといわれている。
ガラパゴスゾウガメの祖先は、南米大陸に住むチャコリクガメの類縁種であることがDNA鑑定で判明した。今から約300万年前に、南米大陸から海に流されてガラパゴス諸島にたどり着いた祖先が生き延びたと考えられる。
島ごとにそれぞれ亜種が存在し、背甲にドーム型、鞍型、中間型の形状の違いが見られることが、チャールズ・ダーウィンが進化論の着想を得るきっかけのひとつとなった。一般的に餌となる植物の多い場所にはドーム型が、少ないところには低木やサボテン等を食べるため背甲が反り返った鞍型が生息するとされる。サンタ・クルス島はドーム型である。
ガラパゴスゾウガメは脊椎動物の中で最も長命で、平均寿命は100歳を超える。最長で152歳まで生きた記録もある。また、ガラパゴスゾウガメは世界最大の陸ガメで、体長1.5メートル、体重250キロを上回るものも観察されている。
ダーウィンがガラパゴス諸島を訪れたときには15亜種のゾウガメが存在していたが、現在では11亜種のみが確認されている。17世紀から19世紀にかけて、海賊船や捕鯨船、商船などの乗組員が食用に捕獲し、その総数は推定10万頭以上になると言われている。
さらに、人間の持ち込んだ野ブタやイヌ、ネコ、ネズミ、ヤギ、牛などにより、ゾウガメの食料が減ったり卵が食べられたりするなど、いまもなお生存の危機にさらされている。現在の個体数はわずか約1万5000頭である。
ガラパゴスゾウガメ。
ガラパゴスゾウガメの生活は単調そのものだ。草や葉やサボテンを食べ、甲羅干しをして、1日のうち16時間近くも睡眠をとる。新陳代謝が遅く、体内に水分を大量に蓄えておけるので、飲まず食わずでも最長1年間生き延びることができる。
ガラパゴス自然保護基金植林プロジェクト。
ガラパゴス諸島は、類例をみない自然美とすぐれた自然現象、およびチャールズ・ダーウィンによる進化論のきっかけとなった自然が残されていることから、ユネスコの世界遺産委員会によって、1978年に世界遺産第1号として登録された。
しかしその後、観光客の急増および移住者の増加により、自然破壊が急速に進んだ。2007年6月、ユネスコは自然の維持が危機的な状況にあるとして、ガラパゴス諸島を危機遺産リストに登録した。
海に栄養を送りゾウガメやフィンチを進化させてきた生態系の基になっている原生林は、かつての数万ヘクタールからいまではわずか150ヘクタールに激減している。
手遅れになる前に現状を早急に改善するため、ガラパゴスにある国立公園やチャールズ・ダーウィン財団と日本のNPOピースボートなどとの共同プロジェクトとして「ガラパゴスの森再生」をスタートさせ、2007年から現地で原生林復活のために各地で植林を始めている。
ガラパゴスゾウガメの剥製展示コーナー。
施設入口にある。
ガラパゴスゾウガメの甲羅。
ガラパゴスゾウガメの甲羅。
内部。
見学を終え、近くにある溶岩トンネルへ移動。
溶岩トンネル。入口。
溶岩流が流れたあとにできたトンネル。2人の男女が来ていた。
溶岩トンネルはハワイ島以来2回目。ハワイ島のほうが規模は大きかった。
溶岩トンネル。
入口から下った地点。
溶岩トンネル。
ガイドに、ここからはお前一人で行けといわれた。
溶岩トンネル。
天井の低い部分があり、身をかがめて通り抜けなければならない。
溶岩トンネル。
下に布地が置いてあるが、服に泥が付いてしまった。
溶岩トンネル。出口。
10分近く歩いて出口に着いた。意外なことに入口からは100mほど離れていなかった。
島内半日ツアーを終え、プエルト・アヨラのオフィスへ帰った。10時出発で帰着は13時頃。
標高の高いキトで歩き回ったせいか疲れがひどく、ホテルへ帰ってしばらく寝込んだ。その後、ダーウィン研究所へ向かった。