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ペルー北部海岸チクラヨ 日本人が発掘した黄金の都 シカン博物館 その2 建築

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シカン文化の時代区分。シカン博物館。
201569日(火)。
前期(700900年)、中期(9001000年頃)のトゥミ(儀式用ナイフ)と陶器。
 
前期シカン。シカンは800年頃に滅亡したモチェ文化の末裔と推定され、遺物の文様に共通性を持つ。遺物からは、シカン文化の人々がエクアドルからウミギクガイやイモガイなどの大型貝類、北のコロンビアからエメラルドと琥珀、南のチリから青石、東のマラニョン川流域の金の交易網を保持していたことが分かる。
シカン文化の優れた品質の土器やナイペと呼ばれる通貨を貝や鉱物等と交換し、周辺の異文化との交易が盛んであったと考えられている。 800年頃、ラ・レチェ渓谷のバタン・グランデにポマ)という都市が作られた。
 
中期シカン。バタン・グランデが政治・宗教的中心地としてこの時代栄えた。バタン・グランデには多くの熟練した金工職人がいた。バタン・グランデの支配者の墓には金銀の大杯、エメラルド、真珠、そして半貴石と貝殻と羽で飾られた黄金のマスクを付けたミイラが納められた。
最高位の役人は支配者が歩く場所にエクアドル産のウミギクガイの粉を撒いて丁重に歓迎する役目だった。
型を使った黒くて光沢のある土器製作が盛んであった。
 
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後期シカンのトゥミ(儀式用ナイフ)と陶器。
後期シカン時代は1000年頃始まって1375年頃のチムー王国による征服で終わった。1100年頃、バタン・グランデの地は焼かれて放棄され、新たな中心地は西のトゥクメに移った。
 
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シカンの人々の日常生活。
 
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シカン文化の建築材料模型。
木質系の腐敗する材料群とアドベ(日干しレンガ)、石などの腐敗しない材料群を組み合わせて使用している。
 
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 シカン・ランバイケのピラミッド建築。部分模型。
急造するため「部屋と塗り込め壁」の技術で建造されている。1000年の時を経て、斜面は崩れていった。

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 シカン・ランバイケのピラミッド建築。部分模型。

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シカンのピラミッドの立体模型と現状写真。
立体模型には現状と建設時の形状が示されている。
 
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アイソメ図。ロロ神殿。
頂上部は平らになっていて、その上に日干しレンガや目次を材料にして神殿が造られた。斜面に沿って頂上に登る参道も付設されている。
ピラミッドの底辺は80m×80m、高さ35m
 
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アイソメ図。ロロ神殿。
ロロ神殿の参道付近から、東・西の王墓と黄金製品を発掘した。
 
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部屋と塗り込め壁の構造。コルテ神殿。
 
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壁と内部の建設過程。
 
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ピラミッド斜面部の構造。
 
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シカン神殿群の日干しレンガの表面に記された印。
モスコン神殿、ロディヨナ神殿、ベンタナス神殿。
造った人が「私の奉納物ですよ」と付けたと思われるさまざまな印、たとえば、足跡の形、ナイベ(青銅製の貨幣と推定される薄板)の形、渦巻きの形がみられる。
支配地域に対する労働税の強要を示唆するという説がある。
 
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印が記された日干しレンガ。

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