TvddsYd3uHI 古鷹山山頂からのパノラマ
30年ほど前にJAFの雑誌で見た記憶がある。ループ橋は中国地方内陸部にも多い。
佐方SAから呉方面へ向かったが、どうしても通勤ラッシュに引っかかる。呉を抜けて、音戸に近づくと第二音戸大橋に行ってしまいそうになったので、慌てて山側の脇道に入って、音戸瀬戸公園へ着いた。ここは、車中泊が出来そうだったので、ここに泊まればよかった。今日はこのあとも、失敗が多かった。高烏台があるはずなので、案内標識に従って向かう。
後になって海軍の所管に移され太平洋戦争においては専ら防空砲台として使用された。石材は近くから切り出された花崗斑岩が使用された。
頂上台地へ。
年平清盛が沈む夕日を招き返したと言われる伝説の場所としても有名で、立烏帽子、直垂姿に右手で扇を高くかざした2.7mの平清盛の立像が建立されている。
このあと、音戸大橋、早瀬大橋を渡って江田島の古鷹山登山口へ。
1995年に江田島の旧海軍兵学校参考館を見学し、生徒は古鷹山登山で心身を鍛えたことを知った。古鷹山は鷲羽のような立派な山容をしていて、登高感に駆られる。
登山口を11時9分に出発。右側に進むと、古い石段が続く。稜線に出て、風化が進んだ掘割状の登山道を登り、左へ山腹の道を進むと、博打岩の標識がある。すぐに頂上台地の鞍部に出て、左の岩峰ピークを目指す。鎖場が数か所あるが、最後の鎖のみ使用すると、11時48分山頂に到着。
先着の男性がいて、携帯電話で話をしていた。
12時00分に下山開始、12時29分に登山口帰着。
西能美島の砲台山へ。
案内標識に従って、山を登ったが、三差路での標識が分かりづらく、左下の海岸へ下っていったので、作業中の地元民に尋ねて、再度登り返し、三差路を右上に登ると、立派な駐車場に到着。近くからは北に展望が開け、安芸小富士のある似島とその先に広島港・市街方面が望める。
標識に従い、北部砲台を見学。
28cm榴弾砲が設置されていた砲座には2門ずつ設置されていた。
13時30分を過ぎ、大崎下島の御手洗地区へ行こうとしたので、砲台見学を短縮してしまった。
第二音戸大橋を通り、呉市街からトンネルを抜けて、広、仁方を通過し、有料550円の安芸灘大橋、下蒲刈島、上蒲刈島、豊島を橋伝いに渡り、大崎上島の御手洗に15時30分頃到着した。
乙女座へ行くと、閉鎖されており、一帯は火曜日が定休日ということかと、郵便局で尋ねて分かった。
道路脇の民家軒先にミカンの無人販売があったので、一袋100円を購入。他の島でも見かけたが、御手洗地区が一番安かった。
西端の駐車場へ帰り、今日明日をどうするか検討する。あくまで御手洗地区を見学するか。今日どこに泊まるか。安芸灘大橋から戻ると通行料が余分になる。上蒲刈島の平成名水百選にも行かねばならない。泊まれる駐車場は、大長港と歴史の見える丘公園があるようだ。ということで、御手洗地区を見下ろす公園へ行ってみることにした。
公園には街灯はなくて暗い。その代わり星空は見える。トイレは自動照明付きで便利だった。
もう一つ、倉橋島の位置を勘違いしていた。江田島と同じ地域だった。
翌日は御手洗地区、上蒲刈島、下蒲刈島を見学後、もう一度音戸大橋を通って倉橋島を見学、道の駅「竹原」を目指す強行日程を組むことにした。