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広島県 音戸の瀬戸 旧高烏砲台 江田島・古鷹山登山 西能美島・三高山砲台跡 大崎下島・御手洗地区 歴史の見える丘公園

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TvddsYd3uHI 古鷹山山頂からのパノラマ
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音戸の瀬戸公園から眺める音戸大橋。平成25年10月29日(火)。音戸大橋。音戸大橋は幅90mの音戸の瀬戸に架かる長さ172mの真紅の橋で、螺旋式とループ式の取付道路をもつ高架橋として、1961年に完成した。
30年ほど前にJAFの雑誌で見た記憶がある。ループ橋は中国地方内陸部にも多い。
佐方SAから呉方面へ向かったが、どうしても通勤ラッシュに引っかかる。呉を抜けて、音戸に近づくと第二音戸大橋に行ってしまいそうになったので、慌てて山側の脇道に入って、音戸瀬戸公園へ着いた。ここは、車中泊が出来そうだったので、ここに泊まればよかった。今日はこのあとも、失敗が多かった。高烏台があるはずなので、案内標識に従って向かう。

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高烏台。旧高烏砲台兵舎跡。頂上台地の直下にある。高烏砲台は日露戦争前にロシア艦隊の襲来を予想して、呉軍港を防備するため、周辺各所に築造された砲台の一つ。明治29年陸軍の手により砲台、火薬庫、兵舎などの工事が始まり、引き続き同32年から3ヶ月の歳月を費やして完了した。
後になって海軍の所管に移され太平洋戦争においては専ら防空砲台として使用された。石材は近くから切り出された花崗斑岩が使用された。
頂上台地へ。

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高烏台。平清盛の立像(日招像)。高烏台は音戸の瀬戸公園の一番高い場所にある。永万元(1165)
年平清盛が沈む夕日を招き返したと言われる伝説の場所としても有名で、立烏帽子、直垂姿に右手で扇を高くかざした2.7mの平清盛の立像が建立されている。

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高烏台。2013年3月に完成した第二音戸大橋。

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高烏台。呉港と左に江田島。

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高烏台。光輝く安芸灘と点在する島々。左から下蒲刈島、中央に情島、右が倉橋島の亀ヶ首、大浦崎。

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高烏台。旧高烏砲台。砲座跡。実際には28cm榴弾砲は設置されなかったという。

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高烏台。旧高烏砲台。砲座横にある砲側庫。
このあと、音戸大橋、早瀬大橋を渡って江田島の古鷹山登山口へ。

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古鷹山登山口。正面に古鷹山が見える。10台ほど駐車できる駐車場がある。三叉路を西進し、トンネルを抜けると右側にある。ネットで調べていたが実際には分かりづらい。
1995年に江田島の旧海軍兵学校参考館を見学し、生徒は古鷹山登山で心身を鍛えたことを知った。古鷹山は鷲羽のような立派な山容をしていて、登高感に駆られる。
登山口を11時9分に出発。右側に進むと、古い石段が続く。稜線に出て、風化が進んだ掘割状の登山道を登り、左へ山腹の道を進むと、博打岩の標識がある。すぐに頂上台地の鞍部に出て、左の岩峰ピークを目指す。鎖場が数か所あるが、最後の鎖のみ使用すると、11時48分山頂に到着。

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古鷹山。山頂。標高394m。海に囲まれた広い山頂には方位盤や五省の訓えが設置されている。

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古鷹山。山頂。岩場の上が最高所で360度のパノラマが楽しめる。
先着の男性がいて、携帯電話で話をしていた。

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古鷹山。山頂。南側の展望。左下に旧海軍兵学校・現海上自衛隊術科学校。向い側の西能美島と江田島の間は内海のようになっている。

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古鷹山。山頂。北側の展望。切串港の先は広島港・宇品方面。
12時00分に下山開始、12時29分に登山口帰着。
西能美島の砲台山へ。

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西能美島。砲台山。砲台山森林公園に三高山砲台跡が残っており、土木遺産にも指定されている。
案内標識に従って、山を登ったが、三差路での標識が分かりづらく、左下の海岸へ下っていったので、作業中の地元民に尋ねて、再度登り返し、三差路を右上に登ると、立派な駐車場に到着。近くからは北に展望が開け、安芸小富士のある似島とその先に広島港・市街方面が望める。
標識に従い、北部砲台を見学。

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三高山砲台跡。高烏砲台と同時期に同じ意図で築造された広島湾防衛要塞の一つ。三高山砲台には「28cm榴弾砲」6門と速射砲2門の日本最大規模の砲台が築かれたが。1919年に廃止された。
28cm榴弾砲が設置されていた砲座には2門ずつ設置されていた。

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三高山砲台跡。

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三高山砲台跡。
13時30分を過ぎ、大崎下島の御手洗地区へ行こうとしたので、砲台見学を短縮してしまった。
第二音戸大橋を通り、呉市街からトンネルを抜けて、広、仁方を通過し、有料550円の安芸灘大橋、下蒲刈島、上蒲刈島、豊島を橋伝いに渡り、大崎上島の御手洗に15時30分頃到着した。

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大崎下島の御手洗地区。重伝建地区として有名。江戸時代から明治時代にかけ北前船の中継港として繁栄した港町である。西南外れの駐車場に駐車して散策。平日で観光客はほとんどいない。町屋には花が飾られ、説明板も行き届いている。目的の若胡子屋跡に行くと、扉が閉まっている。時間が遅かったのかと思った。

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御手洗地区。金子邸。慶応3年11月坂本龍馬の斡旋により、長州藩と広島藩が討幕の密約を交わした御手洗条約締結の場所である。内部は非公開。
乙女座へ行くと、閉鎖されており、一帯は火曜日が定休日ということかと、郵便局で尋ねて分かった。

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御手洗地区。恵比須神社。広島県重文。町の突端にある。

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御手洗地区。西端にある千砂波止。江戸時代、広島藩が造成した防波堤。新旧二つの高灯篭が並ぶ。
道路脇の民家軒先にミカンの無人販売があったので、一袋100円を購入。他の島でも見かけたが、御手洗地区が一番安かった。
西端の駐車場へ帰り、今日明日をどうするか検討する。あくまで御手洗地区を見学するか。今日どこに泊まるか。安芸灘大橋から戻ると通行料が余分になる。上蒲刈島の平成名水百選にも行かねばならない。泊まれる駐車場は、大長港と歴史の見える丘公園があるようだ。ということで、御手洗地区を見下ろす公園へ行ってみることにした。

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御手洗地区。歴史の見える丘公園からの展望。左下の駐車場からスロープを登ると、展望台がある。海峡に浮かぶ小島は平羅島、中ノ島、小島で右の岡村島まで中の瀬戸大橋でつながっている。岡村島は行政的には愛媛県今治市になる。中央億は大崎上島。

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御手洗地区。歴史の見える丘公園からの展望。中央の丘に遊女たちの墓を集めた「おいらん公園」があるという。その下の左右の町並みが御手洗の町並み保存地区。突端が恵比須神社。対岸は岡村島。

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御手洗地区。歴史の見える丘公園からの展望。右から中央に今治半島、突端の大角鼻でその奥に来島海峡大橋が見えている。貨物船が航行する姿もちらほら何隻か見える。
公園には街灯はなくて暗い。その代わり星空は見える。トイレは自動照明付きで便利だった。
もう一つ、倉橋島の位置を勘違いしていた。江田島と同じ地域だった。
翌日は御手洗地区、上蒲刈島、下蒲刈島を見学後、もう一度音戸大橋を通って倉橋島を見学、道の駅「竹原」を目指す強行日程を組むことにした。

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