ミニチュアの黄金製品。モチェ文化。AD1世紀~8世紀。
ラルコ・エレーラ博物館。2015年6月20日(土)。
高位の人物の衣裳の吊り状装飾は、人物、動物、果物が重要なシンボルと共に表現されている。
ウユチュ。生贄や繁栄を示す果実。
カニ。モチェの神話では、海と海岸のコンタクトを可能にする存在である。
カエル。湖やロマス(丘)に生息する両生類。ロマスとは、山間部ぼ渓谷が乾季の時期、霧によって緑に覆われるアンデス海岸部の低い丘陵である。
モチェ文化の葬儀の場面に表現された足のない人物は、先祖の墓を守っている。
ポーラ(棍棒状の武器)を担いだ鳥の戦士。鳥の戦士は、モチェ文化の神話上の登場人物であり、儀式や生贄のさい、より高位の神に伴って描かれている。
キツネが表された首飾りの珠。2色の尾は、キツネがアンデスの宇宙観における湿った世界と乾いた世界にコンタクトを持つ仲介者であることを示している。
古代アンデスの聖なる動物、ジャガーの黄金像。
銅・金合金製表象入り薄板。ビクス文化。BC13世紀半~AD1世紀。
先スペイン期エリート層の儀礼用あるいは葬儀用の衣裳は、権力の象徴である金属薄板によって装飾されていた。薄板に表現された象徴の多くは、ネコ科動物の顔や神話的人物だった。
金の装飾品。ナスカ文化。AD1世紀~8世紀。
金の鼻飾り、羽飾り、人型の金細工、土器の碗。
ナスカ文化の人々は金細工や土器、巨大なナスカ地上絵に象徴的な図像を表現した。ハチドリなどの鳥類、人間、指導者や神官の装身具などが、図像として表されている。
最も代表的が装身具である鼻飾りは、鼻の隔壁から吊り下げて口の周辺を覆ったもので、古代アンデスで神聖とされたネコ科動物のヒゲが表現されている。
黄金の頭飾り、耳飾り。チムー文化。AD14世紀~16世紀初頭。
ネコ科動物、鳥、蛇が一体となって表現されており、古代の為政者らが有していた絶大な権力を示している。
頭飾りの側面は、鳥の冠毛あるいは羽のような装飾を伴っている。頭飾りの中央部は鳥のくちばしを持つネコ科動物の顏である。耳飾りは、蛇がぶら下がるような姿で表現されている。
黄金の頭飾り、モチェ文化。AD1世紀~8世紀。
金および金・銀・銅の合金製頭飾りは、モチェ文化における最重要人物によって使用された。頭飾りには、ネコ科動物の特徴的な顔や牙を持つ表現がされている。これらの顔と共に、コンドルあるいは羽状の文様などによって鳥の存在が表現されている。
また、ドラゴンやネコ科動物、鳥、蛇などの特徴を持つ神話的な動物が立ち上がった姿が表現されている。
これらの頭飾りは最高権力の象徴であり、その色や輝き、図像などを通じて、頭飾りを身に着けた人物の超自然的な性質を知らしめた。
銅製および銅・金・銀の合金製頭飾り。モチェ文化。AD1世紀~8世紀。
鹿狩りが表現された土器。モチェ文化。AD1世紀~8世紀。
鹿狩りはモチェ文化の土器で最も多く表現されている儀礼の一つである。鹿を狩るのは、上質の衣裳や金属装飾付きの頭飾り、大きな耳飾りや胸当てを身に着けたモチェの指導層たちだった。
武器はポーラ(棍棒状の武器)、槍、投槍器などである。鹿狩りで使用された多くの装身具は、狩りが実際には儀式であったことを示している。
高貴な人々の狩装束は、儀礼の戦いで使用された戦士の服装に類似している。儀礼の戦いの目的が土地の獲得ではなく、生贄の確保であったのと同様、鹿狩りも鹿を食することでなく、儀礼用の生贄を捕えることが目的であった。
銀の王冠と装飾。チムー文化。AD14世紀~16世紀初頭。
現代において、最も経済的価値のある金属は金である。しかし、古代アンデスにおいては、金と銀が等しく重要であったばかりか、織物やウミギク貝などの貝殻にも、金や銀と同様の価値が認められていた。
銀は自然界で純粋な金属の状態として存在していないことから、銀の製錬や加工にはより多くの技術と知識が必要とされる。古代アンデスにおける銀の加工はBC10世紀に始まったが、大規模な採掘と洗練された技術が極められたのはチムー帝国最盛期のことである。
装身具に表される図像は、先祖あるいは死者となった為政者がネコ科動物のや鳥の姿をした同行者を従えている様子である。
貝殻と骨の装身具。首飾り、腕輪、胸当てなど。
古代アンデスでは、早期から洗練された緻密なデザインの施された貝殻や骨製のビーズ細工が作られた。これらの多くは鳥、蛇、蛙、魚などの象徴的な動物を表したほか、人型のものも存在した。
黄金とトルコ石の頭飾り。モチェ文化。AD1世紀~8世紀。
王冠、頭飾り、胸当てなど装身具一式。ビクス文化、BC13世紀~AD1世紀。
銅と金の合金。
ビクス文化の埋葬跡からは、故意に折り曲げられた王冠が発見されている。これは、王冠が生贄として捧げられたことを示している可能性がある。埋葬された人物のアイデンティティの象徴であった装身具は、持ち主とともに死を迎え、埋葬された。王冠は死者の世界への入口を通過するさいに死を迎え、姿を変えた(折り曲げられた)のである。
銀泊の上衣。北海岸、チムー文化。AD14世紀~16世紀初頭。
金属箔(スパンコール)で覆われた上衣は、北部地方の支配者にとって重要な衣装の一つであった。為政者らは儀礼のさい、太陽や月のごとく輝く姿に身を装った。銀は為政者を、月や星、すなわち天上あるいは神々の世界の住人と結び付ける役割を果たした。
四角い銀箔は、比較的地味な布地の上に縫いとめられていた。銀箔は上衣を着た人物が踊りや行列を行うさいに揺れ動き、光を反射してきらめいた。民衆は為政者の放つ光に驚き、その超自然的な力を再認識したことだろう。