竹原港。高速船「かがやき2号」。平成25年10月31日(木)。道の駅「竹原」で起床。本日は大崎上島の木江地区、大久野島、竹原、東広島の西条周辺を見学後、翌日の鷹ノ巣山登山のため道の駅「福富」へ至る行程を予定していたので、9時までに木江地区を往復することにした。
竹原港7時23分発、7時46分天満港着、8時35分発、竹原港8時59分の高速船を利用。見学時間は40分ほどしかないが、木造5階建ての家まで走れば何とか可能と判断。実際には、船中で時刻表を見て、天満港手前の一貫目港で下船した。また、この航路は大崎下島の大長港との往復なので、御手洗見学と組み合わせることも可能と気づいた。
24年秋に瀬戸内海の島旅も検討したときに、古い町並みが残る大崎上島の木江地区を知り、今年春に公開された映画「東京家族」のロケ地になったことは直前に知った。史跡的には、この島ではここで充分だと思った。時間に余裕があれば、一日観光する分量がないわけではないが。
運よく早起きができ、道の駅「竹原」から車で5分ほどの竹原港へ向かい、6時45分頃到着。係員に尋ね無料駐車場に駐車。空きは少ない。窓口へ行き、木江地区最寄の天満港まで片道800円を購入。高速船「かがやき2号」は定員50人、14tに乗船。乗客は10人ほど。
竹原港7時23分発、7時46分天満港着、8時35分発、竹原港8時59分の高速船を利用。見学時間は40分ほどしかないが、木造5階建ての家まで走れば何とか可能と判断。実際には、船中で時刻表を見て、天満港手前の一貫目港で下船した。また、この航路は大崎下島の大長港との往復なので、御手洗見学と組み合わせることも可能と気づいた。
24年秋に瀬戸内海の島旅も検討したときに、古い町並みが残る大崎上島の木江地区を知り、今年春に公開された映画「東京家族」のロケ地になったことは直前に知った。史跡的には、この島ではここで充分だと思った。時間に余裕があれば、一日観光する分量がないわけではないが。
運よく早起きができ、道の駅「竹原」から車で5分ほどの竹原港へ向かい、6時45分頃到着。係員に尋ね無料駐車場に駐車。空きは少ない。窓口へ行き、木江地区最寄の天満港まで片道800円を購入。高速船「かがやき2号」は定員50人、14tに乗船。乗客は10人ほど。
竹原港。大三島・今治方面や大崎上島方面のフェリーが停泊している。
大崎上島とその手前の島々。
契島。契島(ちぎりしま)は竹原市の沖合い約4劼飽銘屬垢襦A甘腓東邦亜鉛株式会社契島製錬所となっていて、この島へは同社関係者以外は立入禁止となっている。日本の大部分の鉛がこの島で製錬されているという。
竹原港案内所に見慣れない契島航路とあったので、不思議に思った。
船内でパンフレット3種を入手。地図を見ると、一貫目港から木造5階建ての家が近そうだったので、急遽一貫目港で下船。港付近に案内図があり、近いことを確信。天満港方向へ歩いて5分ほどで、木造5階建ての家が見える地点に到着。
竹原港案内所に見慣れない契島航路とあったので、不思議に思った。
船内でパンフレット3種を入手。地図を見ると、一貫目港から木造5階建ての家が近そうだったので、急遽一貫目港で下船。港付近に案内図があり、近いことを確信。天満港方向へ歩いて5分ほどで、木造5階建ての家が見える地点に到着。
木江地区。木造5階建ての家。最近まで建築基準法により木造は2階までだった。法施行前の古い建物は3階建ては良く見かけるが、5階建ては珍しい。住居としては全国唯一という。
以前、山形県銀山温泉の能登屋旅館に泊まったが、この地区には木造3階建て、4階建ての旅館がある。
以前、山形県銀山温泉の能登屋旅館に泊まったが、この地区には木造3階建て、4階建ての旅館がある。
木江地区。木造5階建ての家。散策マップによると、大正6年、船主等の接待用にクラブを兼ねた料理屋として建てられた。4階建て建設中に大風に煽られて倒れ、4は縁起が悪いと5階建てに変更されたという。5階部分はほんの付けたしのように小さい。
木江地区。木造5階建ての家。屋根瓦の重なりが見事に調和している。
木江地区。木江支所あたりの中心街。左上崖地に住宅地が連なっている。上の方に東京家族のロケ地となった住宅があるようだ。
木江地区。天満港付近の町並み地区。海岸道路から一本北へ入った道路約300mに渡り、大正時代以降の貴重な町屋や船員たちが利用したカフェなどが残っている。
木江地区。天満港付近の町並み地区。木江港は幕末頃から、帆船の潮待ち風待ちの港として栄えてきた。明治になると瀬戸内海は物資輸送の大動脈となり、大正から昭和前期の時代、九州から関西へ石炭を運ぶ帆船・機帆船の良好な停泊地として港は船で埋め尽くされた。
造船をはじめ関連産業も好況で、大正年間には当時至難とされていた、千総トンの木造船を建造するなど高度な造船技術と建造量を誇り「黄金の島」ともよばれていた。
造船をはじめ関連産業も好況で、大正年間には当時至難とされていた、千総トンの木造船を建造するなど高度な造船技術と建造量を誇り「黄金の島」ともよばれていた。
木江地区。天満港付近の町並み地区。当時は多くの船が行き来して賑わい、進水式も毎日のように行われる中、料亭や旅館、仕出し屋がたくさん建てられた。
木江地区。天満港付近の町並み地区。商業の発展とともに、大工同士が腕を競いあって建てられた商家は、山麓に海が迫って平地が少なかったことも影響し、木造三階建てになったといわれる。
木江地区。天満港付近の町並み地区。作詞家の野口雨情、歌人の吉井勇、小説家の江見水陰など多くの文化人も木江を訪れ、港町ならではの情緒を作品に残した。
木江地区。天満港付近の町並み地区。山側へ登っていく石段。レンガが間に挟まれ、ツートンカラーの色合いに興趣があった。
木江地区。天満港付近の町並み地区。天満鼻金毘羅宮。
木江地区。天満港付近の町並み地区。天満鼻金毘羅宮の境内から眺める町並みの甍と海の風景。
木江地区。天満港付近の町並み地区。2階部分が迫り出した造りは港町に多くみかける。
木江地区。天満港付近の町並み地区。葬式の御礼に区へ寄付金を出す風習があるようだ。
木江地区。天満港付近の町並み地区。
木江地区。天満港付近の町並み地区。
木江地区。天満港乗船券売場・待合所。船の場合は余裕を持って、港へ行く必要がある。8時25分頃、天満港乗船券売場・待合所へ着く。
木江地区。天満港。大三島方面からフェリーが着き、バスが降りてきた。
木江地区。天満港から5階建て建物の方向を眺める。造船・修理工場のクレーンが林立している。
木江地区。天満港から5階建て建物の方向を眺める。削った崖の下にある。
木江地区。天満港。大崎下島の大長港始発、竹原港行きの高速船がやってきた。往路と同じ「かがやき2号」。背景は大三島。
木江地区・中心街の全景。
朝、下船した一貫目港から木江地区を眺める。
遠ざかる木江地区。背後の山が標高453mの神峰山のようだ。
高速船は予定通り8時59分に竹原港へ到着した。次は、忠海港から大久野島往復。
高速船は予定通り8時59分に竹原港へ到着した。次は、忠海港から大久野島往復。