忠海港から北に黒滝山を望む。平成25年10月31日(木)。竹原港から大崎上島の木江地区を往復して9時に竹原港へ着き、大久野島見学のため、忠海港へ向かった。国道から忠海港への入口が意外と狭く見過ごしてしまった。5分ほどロスして、忠海港へ着くと桟橋は閑散としていた。忠海港から大久野島への航路は1時間に2本か1本しかない。9時30分のフェリーが出てしまい、次の10時5分の高速船に乗ることになった。港の背面には黒滝山・白滝山が聳えている。どちらも瀬戸内海への展望は良好なので、県別登山ガイドをコピーしていたが、山頂まで行く時間はない。港の喫茶店前に熟年男性8人ほどが屯ししていたので、白滝山への車アクセスを尋ねてみると、思いがけなく熱心に教えてくれた。結局は行かずじまいだったが、近くの黒滝山へ行く道は参考になった。
忠海港から黒滝山を望む。10時5分に大久野島行き高速船が出航した。
機帆船。昨日、倉橋島の造船歴史館で、機帆船の説明を見た。木造帆船に焼玉エンジンを付設した省エネな船舶で、昭和10年代・20年代に盛行したという。近年は姿が見られなくなったという展示解説があったが、大崎上島航路で1隻目撃し、この航路でも目撃した。
大久野島東岸に近づく。左端は第二桟橋と待合所が見える。右に施設跡が見えた。
大久野島東岸に近づく。施設跡は旧日本軍の施設に違いない。
大久野島東岸の第二桟橋。10時17分着。高速船から降りたところ。必ず釣り人はいる。
休暇村までの無料バスは船便に合わせて運行されている。時刻表を見て、11時35分に出港する便で帰ることにしたので、バスに乗車する。
休暇村までの無料バスは船便に合わせて運行されている。時刻表を見て、11時35分に出港する便で帰ることにしたので、バスに乗車する。
ビジターセンター前の浜辺。毒ガス資料館が目的なので、休暇村までは乗らずに途中で下車した。第一桟橋付近から休暇村までは遠足の小学生で賑わっていた。ウサギの島なので、確かにウサギは多い。環境省所管のビジターセンターは各地で見てきたが、概して面白くない。簡単なマップガイドを入手。さきほどの施設は発電所跡と分かる。
大久野島毒ガス資料館。2棟のうち1棟はホールなので、展示室は広くない。日中戦争のときに、日本軍が赤弾・黄弾などの略称で化学兵器を使用したことは、兵士の証言やメモなどで知っていたが、展示でも紹介されていた。
昭和4年に陸軍の毒ガス工場が大久野島に開設されて以降、島は地図から消えたという。戦前は島の存在まで機密扱いされていた。
忠海周辺の住民が工員として製造に従事したが、毒ガスを浴びる死亡事故が頻発した。また、体に浸透して様々な炎症を起こし、後遺症も大変だったことを知った。
昭和4年に陸軍の毒ガス工場が大久野島に開設されて以降、島は地図から消えたという。戦前は島の存在まで機密扱いされていた。
忠海周辺の住民が工員として製造に従事したが、毒ガスを浴びる死亡事故が頻発した。また、体に浸透して様々な炎症を起こし、後遺症も大変だったことを知った。
陶磁器製毒ガス製造器具。資料館の横に展示されている。毒ガスは化学薬品を反応させて、複雑な化学操作を経て製造するので、製造設備の主要な部分は、薬品に反応せず熱に強い陶磁器が用いられた。
タンク、反応釜の蓋、釜、反応器、導管、バルブ。
タンク、反応釜の蓋、釜、反応器、導管、バルブ。
休暇村建物の西に残る毒ガス貯蔵庫跡。
長浦毒ガス貯蔵庫跡。これが、一番見るべき戦争遺産だろう。休暇村から10分ほど北へ歩かねばならない。
長浦毒ガス貯蔵庫跡。説明板。
貯蔵庫跡から休暇村へ戻る途中、テニスコート横の海岸から南を眺める。左が大三島、右奥が今朝見学した大崎上島。前景に小さな島が浮かんで、毒ガスを生産した島の風景と思えないほどの美しい海が広がる。
毒ガス工場設置以前の芸予要塞の砲台跡もあるが、呉周辺で見てきたのでパス。第二桟橋まで歩き、さらに発電所跡へ向かった。
毒ガス工場設置以前の芸予要塞の砲台跡もあるが、呉周辺で見てきたのでパス。第二桟橋まで歩き、さらに発電所跡へ向かった。
旧軍発電所跡入口。トンネル状の門がある。
旧軍発電所跡。大規模なコンクリート造の建物。
旧軍発電所跡。説明板。
旧軍発電所跡。敷地近くにある陸軍の標柱。明治三十年か。芸予要塞時代のもの。
旧軍発電所跡。腹ばいになって休んでいるウサギをよく見かけた。
旧桟橋。発電所跡近くに残っている。芸予要塞時代に築造され、昭和4年の毒ガス工場開設当初も使用されたが、本土側からよく見えるため、次第に使用されなくなり、反対側の海岸に主要桟橋が移ったという。
遠ざかる大久野島。大鉄塔が印象的。11時35分に出港し、11時47分に忠海港へ帰着。
せっかくなので、黒滝山の中腹にある幾つかのポイントを見学することにした。
せっかくなので、黒滝山の中腹にある幾つかのポイントを見学することにした。
黒滝山。中腹にある乃木将軍腰掛け岩。明治39年要塞視察のためにこの地を訪れた乃木将軍が岩に腰掛けて、内海の眺望を絶賛したという。
西側の県道から右折し、山腹の車道を進むと、さくら堂下の駐車スペースに着く。案内板があり、立派なパンフレットが置いてあったので入手。さくら堂からも展望できそうだが、上に登ると、数分で腰掛け岩に着く。
西側の県道から右折し、山腹の車道を進むと、さくら堂下の駐車スペースに着く。案内板があり、立派なパンフレットが置いてあったので入手。さくら堂からも展望できそうだが、上に登ると、数分で腰掛け岩に着く。
霊水池。山の中腹にありながら年中水が絶えないという池。飲めそうには思えなかった。
平山郁夫画伯スケッチの場付近から眺める瀬戸内海と眼下の忠海市街地。中央に大久野島。その背後は大三島。右は大崎上島。
平山郁夫は忠海高校の卒業生で高校創立百周年を記念して描いた風景が高校体育館の緞帳になっている。
平山郁夫は忠海高校の卒業生で高校創立百周年を記念して描いた風景が高校体育館の緞帳になっている。
三十三観音石仏。山腹の各所には磨崖仏が文政4(1821)年までに彫られ、ミニ西国三十三か所の本尊となっている。この場所には阿弥陀如来や勢至観音像が彫られている。
幸福の鳥居。石仏のすぐ先の広場に近年造られたミニ鳥居。鳥居をくぐり抜けると幸福が訪れるという。高さ30僉幅40僂龍屬覆里巴でも簡単にという訳にはいかない。私は楽に潜れることができた。
駐車場から10分ほどの距離だが、12時40分頃になり、この先予定箇所も多いので、黒滝山はここまでとして戻ることにした。次は、忠海港の西にある石風呂への入浴。
駐車場から10分ほどの距離だが、12時40分頃になり、この先予定箇所も多いので、黒滝山はここまでとして戻ることにした。次は、忠海港の西にある石風呂への入浴。