矢野岩海。国指定天然記念物。府中市上下町。平成25年11月2日(土)。前日は三次市の観光を終え、庄原市上市の道の駅「リストア」で車中泊。本日は府中市上下町、三原市方面の見学。9時前に上下に着いたが、上下歴史文化資料館が10時開館だったので、南西近くにある矢野岩海を先に見学することにした。
矢野岩海は標高約450mの矢野温泉公園四季の里にあり,大小いくつもの岩礫(2~6m)が累々と重なって谷を埋めている。露出部分は高さ約7m,幅約10m,延長はおよそ100mの規模である。
矢野岩海は標高約450mの矢野温泉公園四季の里にあり,大小いくつもの岩礫(2~6m)が累々と重なって谷を埋めている。露出部分は高さ約7m,幅約10m,延長はおよそ100mの規模である。
矢野岩海。成因は,霜食作用のために崩壊した岩石が両側の頂上付近から転落,累積,風化したもので,岩質は基盤岩と同じ閃雲花崗岩である。分布面積は比較的小さいが,山頂部の岩域から供給された転落石の集合体であることが明確で,それらの巧妙な組み合わせで洞穴ができている点など,他の岩海には見られないめずらしい特徴がある。
矢野岩海。巨大な岩塊は重なり合い、それらの組合せの妙で人がくぐり抜けられるほどの空洞ができている。この岩海の洞内には多数のミカドキクガシラコウモリが生息しており、コウモリ岩とも呼ばれている。底部基盤岩の表面を地下水が流れ、洞口からは夏でも冷気が吹き出しているという。
案内図に周遊見学路が紹介してあったので、左側を200mほど進んだが、行き止まり状態になり、往路をそのまま戻った。説明板付近の見学で充分であった。
南10劼曚匹了宛胸垉廾翊に久井岩海があり、こちらの方が大規模で、日本地質百選にも選定されている。
10時近くになったので、上下の町並みへ移動。
案内図に周遊見学路が紹介してあったので、左側を200mほど進んだが、行き止まり状態になり、往路をそのまま戻った。説明板付近の見学で充分であった。
南10劼曚匹了宛胸垉廾翊に久井岩海があり、こちらの方が大規模で、日本地質百選にも選定されている。
10時近くになったので、上下の町並みへ移動。
府中市上下歴史文化資料館。明治の文豪田山花袋の代表作「蒲団」のヒロイン岡田美知代の生家を改造した資料館。
上下は江戸時代には上下陣屋が置かれた、また山陰と山陽を結ぶ石州街道の宿場町でもあった。旧福山藩水野家が断絶すると、元禄11(1700)年に領地のうち5万石が幕府領となり、上下に代官が置かれ、安那郡・神石郡・甲奴郡の71ケ村約4万石を管轄した。享保2(1717)年、2万石が豊前中津藩領に編入されると、上下代官は廃止され、大森代官所の出張陣屋が置かれた。
大森銀山産出銀を元手にした代官所公認の貸付業(上下銀)も営まれたため、周辺地域の政治経済の中心として繁栄した。
現在でも明治・大正時代に建てられた白壁や土蔵造の町屋、公共施設が建ち並ぶ町並みが残っている。
資料館の向かい側にある無料駐車場に駐車し、10時開館とともに入館。職員の男性に翁座を見学したいと尋ねると、春祭りの時期しか公開していないことなどを知らされた。
上下は江戸時代には上下陣屋が置かれた、また山陰と山陽を結ぶ石州街道の宿場町でもあった。旧福山藩水野家が断絶すると、元禄11(1700)年に領地のうち5万石が幕府領となり、上下に代官が置かれ、安那郡・神石郡・甲奴郡の71ケ村約4万石を管轄した。享保2(1717)年、2万石が豊前中津藩領に編入されると、上下代官は廃止され、大森代官所の出張陣屋が置かれた。
大森銀山産出銀を元手にした代官所公認の貸付業(上下銀)も営まれたため、周辺地域の政治経済の中心として繁栄した。
現在でも明治・大正時代に建てられた白壁や土蔵造の町屋、公共施設が建ち並ぶ町並みが残っている。
資料館の向かい側にある無料駐車場に駐車し、10時開館とともに入館。職員の男性に翁座を見学したいと尋ねると、春祭りの時期しか公開していないことなどを知らされた。
上下歴史文化資料館。旧岡田邸の2階。室内の柱や梁を一部残し、改築復原している。
上下歴史文化資料館。旧岡田邸の2階。岡田美知代は21歳のとき、永代静雄との恋を両親に知られ、東京から上下町へと連れ戻された。
女流文学者・岡田美知代は明治18(1885)年上下町の旧家岡田家に生まれた。明治31年神戸女学院に入学するが、文学への志深く、明治37年月退学して上京、花袋に師事、女子英学塾(現・津田塾大学)に入学する。永代静雄との親密な関係が花袋に知れて帰郷するが、その後『蒲団』が発表される。再度上京して24歳のとき永代と結婚。いくつかの短篇を雑誌に発表する。大正15年、永代と別れ、「主婦之友」記者として渡米、花田小太郎と再婚するが、花田は結核のため単身帰国。美知代は開戦前に帰国。実妹の嫁ぎ先の広島県庄原市に住んだ。昭和43(1968)年に逝去。大正12年の翻訳本「奴隷トム」(アンクル・トムズ・キャビンの初邦訳)や「愛と真実」は当時ベストセラーとなった。また、草花をテーマにした短篇集「花ものがたり」は戦前期に小学校の副読本に採用されていた。
女流文学者・岡田美知代は明治18(1885)年上下町の旧家岡田家に生まれた。明治31年神戸女学院に入学するが、文学への志深く、明治37年月退学して上京、花袋に師事、女子英学塾(現・津田塾大学)に入学する。永代静雄との親密な関係が花袋に知れて帰郷するが、その後『蒲団』が発表される。再度上京して24歳のとき永代と結婚。いくつかの短篇を雑誌に発表する。大正15年、永代と別れ、「主婦之友」記者として渡米、花田小太郎と再婚するが、花田は結核のため単身帰国。美知代は開戦前に帰国。実妹の嫁ぎ先の広島県庄原市に住んだ。昭和43(1968)年に逝去。大正12年の翻訳本「奴隷トム」(アンクル・トムズ・キャビンの初邦訳)や「愛と真実」は当時ベストセラーとなった。また、草花をテーマにした短篇集「花ものがたり」は戦前期に小学校の副読本に採用されていた。
上下歴史文化資料館。旧岡田邸の2階。岡田美知代が上下町に戻ったあとに使用していたとされる和室が再現されている。
上下歴史文化資料館。田山花袋と岡田美知代関連の展示。田山花袋が岡田家を訪問し、帰京した花袋が当主岡田眸十郎へ出した礼状や当時の旅行道具などが展示されている。
上下歴史文化資料館。2階から中庭と周囲の風景が眺められる。
上下歴史文化資料館。中庭に立てられた「岡田美知代生誕の地」碑。
岡田美知代のことは25年ほど前に知った。
職員の男性にあれこれ話を聞いたり、展示を隈なく見学したので、入手したガイドマップを手に町並み散策に出かけたのは11時30分頃になった。
岡田美知代のことは25年ほど前に知った。
職員の男性にあれこれ話を聞いたり、展示を隈なく見学したので、入手したガイドマップを手に町並み散策に出かけたのは11時30分頃になった。
上下キリスト教会。資料館と同じ白壁の道にある。明治時代、当時の財閥角倉家の蔵として建築された。昭和25年に上下キリスト教会が入手して、蔵の上に八角形の塔を建て増し、上下キリスト教会として使用されている。
上下町商工会館。国登録有形文化財。旧郡役所・警察署庁舎跡。昭和5年に落成したわずかにアール・デコ風の味わいを持った洋風建築。
旧角倉家外門。角倉家の蔵であった上下キリスト教会の南側にある。
旧角倉家外門。
旧角倉家。玄関。右側は以前は開放された内門になっていたという。
横の家の婦人から話しかけられ、説明を聞き、内庭にも入らせてもらった。
横の家の婦人から話しかけられ、説明を聞き、内庭にも入らせてもらった。
旧角倉家。玄関から座敷越しに、キリスト教会の十字架が見える。広大な敷地を実感する。
旧角倉家。内庭と座敷。
旧角倉家。内庭。以前、幼稚園があったときに、水が抜かれたという。庭石や樹木は素晴らしい。池に水を入れればかなりの名庭が復原できるだろう。
上下の象徴である翁山。長谷部氏(長氏)が築城した翁山城跡のある山頂まで車で登れる。クリスマスツリーの山というイメージ戦略があるらしい。
上下代官所跡。明治時代以降、跡地は学校、保育所、役場として利用された。石垣の調査によると、幕末期、明治期、昭和初期の遺構が混在しているという。
整備中のようで立入できなかった。
この近くに山陽・山陰分水嶺の標識がある。
整備中のようで立入できなかった。
この近くに山陽・山陰分水嶺の標識がある。
銀山街道跡。旧街道筋には格子戸・格子窓・古い看板が残っている。
翁座。木造の芝居小屋として、大正12年に町内の富豪の出資で建築が始まり、大正14年に棟上げされた。昭和2年に株式会社として町民の娯楽を目的に開場された。内部は江戸末期の芝居小屋の空間となっていた。
戦前は東京歌舞伎などの会場となり、戦後は花道を取り除き、映画の常設館となった。昭和35年に閉館。平成6年に花道・桟敷など修復再現、平成9年からは翁座まつりや当地出身の平幹二郎の公演や落語、コンサート、芝居などに利用されていた。
25年ほど前に存在を知って楽しみにしていたが、現所有者とトラブルがあり、最近ようやく春のイベント時のみ公開されるようになったという。
戦前は東京歌舞伎などの会場となり、戦後は花道を取り除き、映画の常設館となった。昭和35年に閉館。平成6年に花道・桟敷など修復再現、平成9年からは翁座まつりや当地出身の平幹二郎の公演や落語、コンサート、芝居などに利用されていた。
25年ほど前に存在を知って楽しみにしていたが、現所有者とトラブルがあり、最近ようやく春のイベント時のみ公開されるようになったという。
旧警察署。明治時代の建物で、見張り櫓も残っている。田山花袋が「備後の山中」の中でその印象を記している。
上下の町並み。黒漆喰のなまこ壁が見られる吉田本店は、明治初期に建てられた二軒連結の商家。
上下の町並み。資料館のある白壁の道。
1時間ほど散策したのち、三原市の佛通寺へ向かった。
1時間ほど散策したのち、三原市の佛通寺へ向かった。