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池田市 池田城跡 インスタントラーメン発明記念館

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池田城・模擬天守。池田市城山町。
平成28519日(木)。
能勢町の道の駅から池田城跡公園へ向かう。北側の五月山緑地駐車場は30分まで無料、2時間まで200円なので、池田城跡公園見学には前者、市内見学には後者を利用した。北東側から公園に入園。
池田城は標高50mの高台に位置し、五月山の南麓の東西に延びる尾根を利用し、西側には崖、北側には杉ヶ谷川を取り入れ、東、南には堀と土塁を配置し防御効果を高めた、畿内でも屈指の規模を誇った城郭として知られている。
 
池田城は南北朝・室町・戦国期の豊島郡(現在の池田市、豊中市、箕面市周辺)の有力国人であった池田氏が五月山南麓の丘陵地に築き、代々の居城とした。
室町時代の池田充正の頃は守護細川氏の有力被官となり,伊丹,吹田両氏と並ぶ摂津屈指の土豪に成長した。周辺荘園の代官を兼ね,給分を資本に高利貸も行って,応仁の乱ころは富貴無双とうたわれた。その時代に城の規模を拡張し、城下町池田が形成された。その後、興亡を繰り返し、池田勝正のとき織田信長に属し、池田城も織豊期城郭として整備された。しかし、家臣であった荒木村重の下剋上によって池田氏は没落した。池田城は村重の居城有岡城が落城した翌天正8年(1580年)信長の命により廃城となった。
 
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復元された北東側の城門。
発掘調査の結果に基づいて虎口・土塁・排水溝・井戸・枯山水の庭等が復元され、二層の模擬天守と4ヶ所の城門が設けられた。東側の空堀を見下ろすと、かなりの比高差がある。
 
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模擬天守上層から園内・五月山方面の風景。
 
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展望舎から池田・川西市方面の風景。
南と西側の崖と谷を利用した要害であることが分かる。
 
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池田城礎石跡。
 
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インスタントラーメン発明記念館。研究開発小屋内部。池田市満寿美町。
チキンラーメンを1958年に開発した安藤百福の業績を記念して建てられた施設。
安藤百福は1957年から池田市呉服町の自宅裏庭に10㎡ほどの小さな研究開発小屋建て、直径1mの中華鍋などありふれた道具を使って日夜研究を重ね、翌年春チキンラーメンを発明した。同年825日に商品販売を開始したので、日清食品は同日をラーメン記念日としている。
 
入館無料。駐車場は60300円。65分後に支払ったら、時間超過とされ600円払う破目になった。
インスタントラーメンは数年前から国内数社が類似品を先行販売している。安藤は他社の特許をのちに買収した。もっとも、世界に即席麺を広めたのは安藤百福の功績に間違いない。
 
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研究開発小屋の軒下に陰干しされた試作品の麺。
 
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操業当時の製麺機。
 
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カップヌードルの製法と改良の歴史を物語るナッツの容器。
「逆転の発想」や「中間保持法」などカップヌードルの発明にいたるひらめきのエピソードが紹介されている。
1960年代後半、米国出張の帰り、機内で出された直径4.5㎝、厚さ2㎝ほどのマカデミアナッツ容器。容器には紙とアルミ箔を貼りあわせた上蓋が密着していた。通気性がなく長期保存できるアルミキャップ発明のヒントになった。
 
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マイカップヌードルファクトリー。世界でひとつだけのオリジナル「カップヌードル」を
300円で作ることができるコーナー。自分でデザインしたカップに、4種類の中から好みのスープと、12種類の具材の中から4つのトッピングを選べる。
 
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マイカップヌードルファクトリー。アジア人の団体で賑わっていた。
これとは別にテイスティングルームがあり、自販機で地域限定のカップヌードルを購入して食べた。
 
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チキンラーメンファクトリー。
チキンラーメンを手作りできる工房。小麦粉をこね、のばし、蒸したあとに味付けをし、「瞬間油熱乾燥法」で乾燥するまでの工程を体験する。
小学校の団体が体験していた。
 
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安藤百福の軌跡コーナー。
安藤百福のトレードマークであるサングラスや腕時計など生前に愛用していた品々。
 
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藍綬褒章。
1977年。
 
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勲二等瑞宝章。
1982年。
 
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勲二等旭日重光章。
2002年。
 
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正四位。
2007年。同年15日死去後に叙位。
 
このあと、五月山緑地駐車場へ向かい、呉服神社など市内見学。

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