台湾先史時代の文化年表。国立台湾博物館。台北。 (拡大可)
2016年11月26日(土)。
2階常設展示。台湾先史時代展示室。旧石器時代から鉄器時代まで。今から2~3万年前、現在までのところ台湾で最も古い化石人類「左鎮人」、新石器時代の文化の遺物、後期「プユマ文化」の墓葬や副葬品、および十三行文化に代表される鉄器時代の文化など。
台湾先史時代の文化年表。 (拡大可)
「増補版 図説台湾の歴史」(周婉窈,2013)から。
「左鎮人」の頭部復元模型。
左鎮人は、これまでに発見された台湾で最も古い旧石器時代の化石人類で、約25000年前の旧石器時代人とされる。台南県左鎮の菜寮渓流域で出土した。頭蓋骨と歯の化石のほかに、中国大陸華南地区の古い動物の化石も数多く発見された。
ヴュルム氷河期のころ、台湾はアジア大陸と地続きであり、動物の群が華南から台湾に移ってきたのに伴い、旧石器時代の人類もやってきたと考えられる。この時代台湾北部に網形文化、南部や東部に長浜文化の遺跡が確認できる。
長浜文化は、左鎮人による文化である可能性が示されている。
台東県長浜郷八仙洞で発見された長浜文化は漁・狩猟を中心とする社会で、主に海の近くの洞窟や岩陰に住み、農耕・土器文化はない段階で、石器を使用していた。長浜文化は約5000年前まで続いたと思われる。
大坌坑(だいふんこう)遺跡の陶器。台北。
1、2は新石器時代早期の大坌坑文化(BC5000~BC3000)の縄紋陶器。3、4は新石器時代晩期の植物園文化(BC2500~AD1)の陶器。
台湾の新石器時代は早期・中期・後期・晩期の4 期に区分される。
早期は大坌坑文化では、「粗縄紋陶」と言われる縄蓆文土器が用いられた。中期には円山文化と牛罵頭文化が現れ、それぞれ茶色の無文土器、赤みを帯びた縄蓆文土器が用いられた。牛罵頭文化の次に黒陶の縄蓆文土器を用いる營埔文化が続き、晩期には、土器から縄蓆文装飾が消えて彩陶土器が出現、器形も変化する。
大坌坑文化は全島に分布している。長浜文化とは関連がなく、浙江省の河姆渡文化と関連すると考えられる。
大坌坑文化人は根茎類作物を植え始め、4000年前に穀類農業時代に入ったが、漁と狩猟も重要な生業であった。大坌坑文化は牛罵頭、牛稠子文化などに引き継がれる。
陶製蓋。石製蓋。陶片。円山遺跡。台北。
円山文化は新石器時代中晩期(BC2500~BC500)。この文化には磨製石庖丁を伴わない。
鳥居龍蔵が円山貝塚を発見した。台北盆地が台北湖であったとき、円山文化人は湖畔で暮らしていた。彼らは湖で貝や魚を採り、付近の山林で狩猟をし、集落のそばに稲を植えた。
大型磨製匙形石斧。円山遺跡。台北。
磨製有段石錛。磨製有肩石斧。円山遺跡。台北。
石錛(せきほん)は木工用具の釿(ちょうな、手斧)のこと。
中部の陶器。
新石器時代中期の牛罵頭文化(BC3000~BC1500)。赤色陶、褐色陶。
新石器時代晩期の營埔文化(BC1500~AD1)。黒色陶。灰色陶。
營埔文化の石器。
磨製帯孔石刀。台中、新社遺跡出土。磨製半月形帯孔石刀。台中、東勢遺跡出土。
大湖文化の石器。
新石器時代晩期(BC1500~AD1)の大湖文化。
磨製石斧。嘉義県出土。磨製石斧。台南市烏山頭出土。
大湖文化の陶器。
黄褐色陶器。灰黒色陶器。台南市烏山頭出土。
墾丁文化の石器。塀東県墾丁遺跡。
墾丁文化は新石器時代中期(BC2500~BC1000)。石錘。凹石。
墾丁文化の石器。塀東県墾丁遺跡。
磨製靴形石刀。打製石斧。
墾丁文化の貝器。塀東県墾丁遺跡。
ヤコウガイ製貝刮器。
石棺。卑南遺跡。台東市。
卑南文化は新石器時代晩期(BC1500~AD1)の文化。
卑南遺跡は台湾最大規模の先史遺跡で、中心部分の面積は20~30ヘクタール、広義での遺跡の面積は80~100ヘクタール。発掘面積は1万㎡に及び、台湾の考古学史上最大で最も完全な形の集落形態の遺跡である。
環太平洋および東南アジアにおいて最も規模の大きい石棺墓群からは 1,600基近い石棺や20,000点を越える土器・石器などの歴史的遺物が出土した。出土数は台湾の遺跡の中では最多で、出土した玉装飾品の様式や数量においても台湾の遺跡の中では最多である。
棲蘭山檜林・太魯閣国家公園・阿里山森林鉄道とならび世界遺産の有力4候補のうちの一つ。
卑南遺跡。台東市。
陶勺。陶杯。陶製紡錘車。
卑南遺跡。台東市。
陶製壺類。
卑南遺跡。台東市。
副葬品。玉玦耳飾り、玉管飾りなど。
麒麟文化。
新石器時代晩期の麒麟文化は花蓮県から台東県にかけての文化で、鹿野忠雄により巨石文化と呼ばれた。
南島語族の農業民族が華南や東南アジアから台湾に移り住み、今日の台湾原住民族の祖先が形成された。
新石器時代の文化の担い手が台湾原住民なのか言語資料がないので確かめることはできない。わずかにBC300年前から始まる十三行文化の後期は台北周辺に住んでいた平埔族のケタガラン族であると考えられているのみである。