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広島県 向島・因島 吉原家住宅 因島水軍城 金蓮寺 青陰城跡 長崎城跡

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尾道。向島。吉原家住宅。表長屋門。国登録。平成25年11月5日(火)。道の駅「ぬまくま」で起床。本日は向島、因島、尾道へ。生口島は既見なので除外。無料になった尾道大橋を通り、向島の中央にある吉原家住宅へ。山陽本線から見る印象と違って、島内中央部は平坦地が多い。
吉原家は室町時代中期に向島に城を構えた一族で、天文年間以後は世羅郡に移り、毛利氏に属したが、向島に残った一族は江戸時代末期まで向島西村の庄屋をつとめた。住宅は東に面しており、東側石垣の上に長屋門が建てられている。
日祝日のみ内部公開なので、内部に入れなかった。

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尾道。向島。吉原家住宅。主屋。重文。寄棟造、茅葺、桁行11間の大きな建物。寛永12(1635)年に建築されたことが判明しており、全国で3番目に古い民家建築である。武士から帰農して村役人をつとめた階層の住宅として価値が高い。
倉敷ナンバーの車から女性3人が降り、左の空き地へ下りていき、住宅を外から見ていたので、私も下りると、外観の一部を垣間見ることができた。
向島ICから有料のしまなみ海道に入り、因島大橋を過ぎた大浜PAで駐車したが、大橋を含む景観は良くなかった。因島北ICを出て、因島水軍城へ向かう。

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因島水軍城と金蓮寺。海上交通の要衝であった因島をめぐって、小早川氏や村上氏らが争奪戦を繰り返したが、戦国時代後期には三島村上氏の一つ、因島村上氏が全島を支配した。金蓮寺は村上氏の菩提寺で、文安6(1449)年に村上氏の重臣宮地妙光と子の資弘が願主となって建立された。

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金蓮寺境内には村上氏歴代の宝篋印塔18基や多数の五輪塔が残されている。

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因島水軍城から南方を眺める。金蓮寺境内の先の山影のうち、左の風呂山と右の龍王山にはさまれた中央が標高275mの青影山で、山頂には因島村上氏の本城であった青陰城が置かれていた。
因島水軍城は観光用に建てられた資料館で、村上水軍の残した武具・遺品・古文書を展示している。受付の男性に青陰城跡へのアクセスを尋ねた。

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青陰城跡周辺案内図。県道土生線へ入って、200mほどで右の青影山方向へ向かう道がアクセスになる。最初、大山トンネル付近に登山口があるはずだと、探してみたが、取り付きらしき道はなかったので諦め、水軍城方向へ戻った。
アクセス道路へ入ると、狭い山腹下道路の所々に土砂が散乱していて、大丈夫かと思いながら進むと、三差路に着いた。直進なのだがいかにも悪路だ。近くでミカンの収穫をしている夫婦に尋ねようとしたが、近づけず諦め、三差路の路肩に駐車して直進方向へ歩いて向かった。
因島水軍城の男性はかなり奥まで車道があると言っていたが、土砂・倒木が随所にあり、車での進入は無理といえる。

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青陰城跡。歩道の底面が木板で補修された箇所を超えると、登山道入口の駐車場跡らしき所に着き、左上に木段の登山道が登っていた。夏ならマムシが出てきそうな、湿った陰気な道は、土砂と倒木が散乱し歩きづらい。

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青陰城跡。尾根通しの鞍部に着くと大山峠からの道と合流する。帰りに大山峠方向からやってきた単独男性とであった。

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青陰城跡。県史跡。登山道入口から15分で最高所の本丸跡に着いた。城跡は、因島村上氏の本拠で、長崎城(因島)→余崎城(向島)→青木城(因島)→青陰城と変遷したと伝えられている。
この城は海賊城ではなく、戦国山城であり、もとは長崎・青木・余崎などの連絡場所であったが、因島村上氏が戦国大名の性格をもつと、本城の役割をはたすようになったであろうと伝えている。後、村上水軍の第一家老救井太郎左衛門尉義親の居城という。元弘年間(1331~1333)~慶長元年(1596)までの約260年間に渡り使用された。
頂上台地は二段からなる本丸(西側郭群)、二段からなる二の丸(東側郭群)、その間をつなぐ通路状の郭からなっている。
二の丸跡に戻る。

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青陰城跡。二の丸跡。展望が良く、休憩所が設けられている。

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青陰城跡。二の丸跡。「建武中興六百年記念・村上義弘公青陰城址登山路改修碑」がある。1933年頃の建立だろうか。

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青陰城跡。二の丸跡からの展望。南への眺望。左に付近に長崎城跡のある土生港と生名島。中央が岩城島。その右に伯方島、生口島。

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青陰城跡。展望図。

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青陰城跡。北に下ると2段からなる屋敷跡と考えられる郭があり、金蓮寺方面の平地としまなみ海道の因島大橋などを見渡せる。
下山して土生港方面へ向かう。

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長崎城跡。県史跡。因島村上氏の海城(水軍城)。土生港すぐ南に長崎港があり、その南に付きだした台地に築かれた。船を停泊させるための杭穴が残っているらしいが、確認できなかった。

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長崎城跡。城跡はホテルになっており、皇族が宿泊した記念樹の入口を抜けると、レストランの屋外テーブルが置かれ、海を眺めて食事できるようになっていた。
因島北部の白滝山へ向かう。

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