MuLsqe9_KT0 白滝山の石仏と瀬戸内海
石仏の参道と瀬戸内海。因島北部重井町の白滝山。平成25年11月5日(火)後半。広島県の観光パンフレットに掲載されていたので、期待していた。予想以上に360度の海と島の風景が見渡せる景勝地だった。
標高227mの白滝山は、もともと修験者の修行の場であった。永禄12 (1569)年因島村上氏第6代村上吉充が白滝山の北に青木城を築城した際、布刈瀬戸の見張所として観音堂を建立したと伝えられている。村上吉充は毛利水軍の一翼を担い、厳島合戦や大坂本願寺合戦で活躍した。
その後、重井村の豪商柏原伝六(1780〜1828)が神道・儒教・仏教に加え、当時禁制のキリスト教の共通理念を基礎に『一観教』を開き、白滝山上に清浄世界をあらわそうと、石造の五百羅漢を弟子柏原林蔵や石工たちとともに刻んだ。文政10(1827)年発願し、文政13年に完成した。しかし伝六は一揆を怖れる広島藩により文政11年に毒殺された。手前の石像2体は一観夫妻の像と伝わる。
山頂近くの駐車場から10分ほどで展望台のある頂上に着く。展望台から北へ小細島・細島と三原市方面。
白滝山の石仏と因島大橋。山頂には自然石による多宝塔や釈迦三尊像、等身大の十大弟子像など大小約700体の石仏が所狭しと並んでいる。
山頂の展望台からは因島の東西南北全てが見渡せ、まさに瀬戸内海の多島美が眼下に広がる。その眺めのすばらしさに、歌人吉井勇は「白滝の山に登れば眼路広し 島あれば海 海あれば島」
と詠んでいる。白滝山の三角点と参道の石仏。
白滝山。観音堂脇にある十字架観音像。刳り抜かれた岩の外壁に彫られている。
標名が日本語・英語に加えハングルとは。文鮮明が紹介でもしたのだろうか。
標名が日本語・英語に加えハングルとは。文鮮明が紹介でもしたのだろうか。
白滝山。観音堂脇にある十字架観音像。キリシタン弾圧が厳しかった時代に新造された石像があり、残っているのは珍しい。キリスト教の教理は当時どれほど知ることができたのか。蘭学者や新井白石などは知っていただろうが。
因島大橋の北にある大浜埼灯台へ向かう。
因島大橋の北にある大浜埼灯台へ向かう。
大浜埼灯台と潮流信号所。土木遺産。因島大橋の北にある。大浜埼灯台は明治27(1894)年に布刈瀬戸に臨む大浜崎に建てられた現役の灯台である。布刈瀬戸は幅約780mの急潮流の海峡で、明治20年頃九州から京阪神の工業地帯に石炭を運ぶ貨物船が増え始めると海難事故が頻発した。そのため、灯台を設置するとともに大浜崎船舶通航潮流信号所を設置し、潮流の方向・緩急の予知、行合船の状況を知らせ船舶往来の安全を図った。腕木式信号機や鉄製の旗竿も残っている。
灯台記念館はガラス越しに灯器類を見るのみ。
灯台記念館はガラス越しに灯器類を見るのみ。
大浜埼灯台・搭屋。切妻造の木造平屋の屋根の上に、3つの搭屋が並ぶ。搭屋は台座の上に載った木造1間四方の立方体で、この上に円筒・円錐形の灯篭が載せられている。昼間は搭屋部の壁に標識を掲げて船舶の動向を知らせ、夜間は灯光器の光で通航信号を伝えた。
白亜の立体が3つ、青い海に並ぶ姿は童話の世界のようであった。
向島経由で尾道市街へ向かう。
白亜の立体が3つ、青い海に並ぶ姿は童話の世界のようであった。
向島経由で尾道市街へ向かう。
向島。尾道渡船兼吉桟橋。背後は尾道。片道100円。10分毎に運航。尾道市街地には無料駐車場が見当たらない。尾道渡船東のコインパークに駐車し、向島滞在10分で帰ってきたので、駐車料は200円だった。船の構造が面白い。中央部は車が貫通できるようになっており、人と自転車は壁側に配置される。
向島。尾道渡船兼吉桟橋の向かい側にある兼吉バス停待合所。大林宣彦監督の映画「あした」のロケセットを移設したもの。
岩屋山の巨岩群には古代のミステリーがあるというパンフレットを入手。気になったが、時間がない。フェリーで尾道側へ帰る。
岩屋山の巨岩群には古代のミステリーがあるというパンフレットを入手。気になったが、時間がない。フェリーで尾道側へ帰る。
尾道。朱華園。尾道は30年以上前に見学しており、山陽本線で何度も通過しているので、観光する気にはなれなかった。しかし、尾道ラーメンを代表する超人気店「朱華園」を外すわけにはいかない。休日は行列が予想されたので、平日の午後遅くを狙った。駐車場は無料2台しかなく、分からずに店まで通り過ぎて、バックしたときに地元の車に先行された。前で待っていると、5分ほどで他県ナンバーの車が出て行ったので助かった。店に入って、さっきの車の男を捜したが、いなかった。勝手に停めるとんでもない奴だった。
店はビルの1階で目立たない。店内も狭い。
店はビルの1階で目立たない。店内も狭い。
尾道。朱華園。ラーメンと餃子を注文。ラーメン550円と安い。昔のシナそばというイメージ。九州のラーメンを食べ慣れると物足りない。麺はそれほどの味ではない。ただ、スープに大量に入っている背脂の粒々した食感には感動した。
翌日は阿伏兎観音と鞆だけで旅行を終えるので、ゆっくりと道の駅「ぬまくま」へ向かった。
翌日は阿伏兎観音と鞆だけで旅行を終えるので、ゆっくりと道の駅「ぬまくま」へ向かった。
阿伏兎観音北の海岸から阿伏兎瀬戸・田島・内海大橋を望む。11月6日(水)。道の駅「ぬまくま」で起床。険しい海食崖が続く沼隈半島の南端にある阿伏兎観音北の海岸に7時30分頃到着。海辺の広い駐車場に駐車。釣り人が数人いる海岸の堰堤へ向かうと、海辺の美しい風景が広がっていた。
阿伏兎観音まで車で移動。
阿伏兎観音まで車で移動。
岬の岩頭に建つ朱塗りの観音堂。重文。阿伏兎観音。海潮山磐台寺。正暦3(992)年に花山法皇により創建されたと伝えられ、海の安全を祈願する十一面観音が祀られている。観音堂は毛利輝元の再興による。
8時過ぎに受付で100円を支払い、入場。岬先端の岩場に釣り人がいた。
8時過ぎに受付で100円を支払い、入場。岬先端の岩場に釣り人がいた。
阿伏兎観音。安産・子育ての観音様としても信仰を集めており、女性の乳房の形をした絵馬が多数奉納されている。
阿伏兎観音。東側の岩場には石塔が立っている。
阿伏兎観音。古くから景勝地として知られ、十返舎一九作「厳島参詣膝栗毛」にも描かれている。朝鮮通信使の残した文献や志賀直哉の小説『暗夜行路』にも言及されている。
阿伏兎灯台。阿伏兎岬の先端、阿伏兎観音の上部にある。阿伏兎瀬戸を通過する船舶のために設置され、昭和33年12月9日に初点灯された。コンクリート造で、地上からの高さ9.0m、水面から灯火までの高さ88m。
阿伏兎観音から上を見上げると灯台が見えたので、見学することにした。観音北の駐車場に戻ると、自然公園への遊歩道が登っている。朝みかけた関東ナンバーの夫婦が犬を連れて下りてきて、何もんかったと言っていた。上にかなり登り、尾根の中程に岬先端方向への道があり、先へ進むと灯台が現れた。
阿伏兎観音から上を見上げると灯台が見えたので、見学することにした。観音北の駐車場に戻ると、自然公園への遊歩道が登っている。朝みかけた関東ナンバーの夫婦が犬を連れて下りてきて、何もんかったと言っていた。上にかなり登り、尾根の中程に岬先端方向への道があり、先へ進むと灯台が現れた。
阿伏兎灯台。南西方向には阿伏兎瀬戸を隔てて田島の漁港や養殖用の筏を望むことができた。
9時頃になり、靹に向かった。
9時頃になり、靹に向かった。