花蓮鉄道文化園区。案内図。
2016年11月29日(火)。
花蓮の文創園区南東の宿ドロップバイ・インターナショナル・バックパッカー・ホステルで、石彫博物館横の原住民文化歴史館へバスで行きたいと、尋ねると、東大門観光夜市西のバス停からバスに乗れということで、10分ほど歩いて、噴水と金龍大旅社の前に着いた。ここが、花蓮客運総站バスターミナルだと言われても分からないような閑散としたバス停だった。
8時30分頃で、バスの時刻まで30分ほど待ち時間があった。意外なことに、すぐ西側に鉄道文化園区の入口があるではないか。歩き方に記載されているが、瑞穂までの短時間では見学できないと、予定から外していた。
入口付近を清掃している青年に入ってもいいかと尋ねると、怪訝な顔をされた。8時30分から開館で入場は無料。私とほぼ同時に台湾人らしい青年2人も入場した。
園区は1館と2館の2地区に分かれており、ここの1館地区が旧鉄道部花蓮港出張所で、鉄道文化館として保存展示されている。
花蓮鉄道文化園区。
このあたりには、旧花蓮駅(1951年に旧花蓮港駅から改名)があり、東大門観光夜市やその南西側を含めて広大な鉄道ターミナルが存在していた。現在の花蓮駅は町外れの北西にある。
台湾の東海岸の鉄道は台北から花蓮・台東を経て高雄まで繋がり、現在は全島を一周しているが、台北方面(蘇澳新駅)と花蓮を結ぶ北廻線は1982年、台東と高雄方面(枋寮駅)を結ぶ南廻線が開通したのは1992年のことであり、それ以前は花東(台東)線とよばれる花蓮・台東間の鉄道線しかなかった。
1908年日本の国会は花蓮・台東間の鉄道建設計画を承認し、1909年に鉄道部花蓮出張所が鉄道建設と鉄道運営の部署として設置され、翌年花蓮港駅が開業、花蓮から璞石閣(現在の玉里)間の建設が着手された。
規格は軌間762mmの軽便鉄道であったが、将来は1,067mmに改軌して、西部縦貫線との連絡を考慮に入れての建設であった。当該区間は1919年5月に完工した。花蓮・台東の全線は1926年に開通した。
花蓮鉄道文化園区。入口の本館。
1932年鉄道部花蓮出張所は、日本と欧米の折衷建築様式の建物として改築された。
1982年、北廻線開通により、旧花蓮駅は廃止、鉄道部花蓮事務所(旧出張所)も1979年に移転後、1988年に建物の使用を停止した。2002年に歴史建築の登録や修復を開始、に文化園区として生まれ変わった。
花蓮鉄道文化園区。入口の本館。
正面はかつて時計台であったが、現在は窓になっている。本館は出張所長以下の事務棟であったが、正面入口には現在改札口や切符売り場など、鉄道駅らしい設備が作られている。
花蓮鉄道文化園区。入口右側の建物。
入口を出て右側の建物は集会場、講堂のような造りになっている。中庭には、台座に「永懐領袖」と銘された蒋介石の胸像が置かれている。
花蓮鉄道文化園区。入口左側の建物。
入口を出て右側の建物は事務棟だったようで、工務課など部屋ごとに当時使用していた機械や物品を展示したり、日本統治時代の花蓮から台東を結ぶ東部鉄道の沿線修築の歴史を紹介している。
花蓮鉄道文化園区。入口。
硬券収納棚の模型が展示されている。駅員が一枚ずつ取り出す光景が思い出される。数十年前から自動券売機が導入されたので懐かしい。
花蓮鉄道文化園区。
1907年3月25日に台東線鉄道建設批准、1917年5月水尾(瑞穂)・璞石閣(玉里)間開通、第一次工期完了、1932年11月鉄道部花蓮港出張所拡築とある。
旧玉里駅。
1926年3月27日に台東線の開通式典が挙行された。
玉里駅。記念スタンプなど。
旧職員食堂内展示。
修復工事の部材。参考図版は日本の文献。「しゃちせん」などの用語が書かれている。
鉄道文化園区一館から二館へ向かう。
鉄道文化園区二館。
かつては、花蓮駅や操車場、機関区等が操業していた一大ターミナルであったが、戦後は工務部と警備部が置かれていた。
鉄道文化園区二館。
ナローゲージ時代の台東線で活躍していた日本製のLDT103型蒸気機関車や貨車などが展示されている。
中に入ろうとしたが、二館地区は閉鎖されていた。原住民文化歴史館方面へのバス発車時刻が迫ってきたので、バス停へ帰った。
花蓮原住民文化歴史館。
石彫博物館で下車し、南西方向の公園片隅にようやく見つけたが、休館していた。内部を覗いたが、展示もほとんどない状態だった。こういう肩透かしも仕方がない。
バスが来るかどうか分からず、タクシーを拾って松園別館へ向かった。