掃叭石柱。花蓮県瑞穂郷舞鶴村。
2016年11月29日(火)。
掃叭(サオバ)石柱は、約3000年前の新石器時代後期に属する「卑南文化」の遺跡である。卑南文化は巨石文化として知られ、この文化の遺跡は台湾東部に見られるが、なかでも掃叭石柱は最大の石柱として知られる。
相対する二つの巨大な石柱は、高さ6.13m、3.9mと案内板に記されている。石柱の周りには、小石が環状に並べられている。遺跡全体の敷地は600×400mという。
花蓮から台東の中央山脈と海岸山脈に囲まれた縦長の盆地帯を花東縱谷といい、原住民族のアミ族が居住していた。石柱名の「掃叭」はアミ族の言葉で「木板」を意味する。
花蓮駅10時59分発の台東行き普悠瑪号に乗車して、瑞穂駅に11時45分に着いた。
瑞穂はルイスイと発音する。日本統治時代に花東縱谷には瑞穂・池上・吉野・龍田など多くの日本人村が開かれ、この瑞穂も以前の名は水尾であった。
本日は瑞穂温泉山荘に宿を予約しており、掃叭石柱見学が重点目標なのだが、歩き方には瑞穂駅前道路バス停から、玉里・冨里・台東行きの花蓮客運バスに乗り、「掃叭頂バス停」下車とある。
バスの時刻が分からない以上に、そのバス停が分からない。飲食店で尋ねたりしたが、言うことがバラバラで結局場所は不明。警察署があったので、警官に尋ねると、英語の分かる婦人警官が対応してくれたが、やはり分からない。バイクをレンタルしたらどうかということになったので、駅前のレンタル屋に行った。レンタル屋は2軒あるが、自転車もあるのは1軒だけ。
店の主人と話して、掃叭石柱、瑞穂牧場、瑞穂温泉山荘へ行き、翌朝返すと2日間になり、800元という。
じゃあお願いというと、何と原付バイクのことだった。本来、原付バイクのレンタルには免許証の中国語翻訳文が必要なので、今回の旅行では自動車やバイクのレンタルは考えていなかった。実際には、バイクは翻訳文がなくてもレンタルできるという情報もあったが、そのとおりだった。
3日後には、石門古戦場見学で塀東県車城で原付バイクをレンタルしたのだが、この時はまだ交通ルールとか違うだろうという感覚があり、原付バイクは対象外だった。
そこで、原付ではなく自転車だというと、自転車を用意してくれた。2日間で200元。
なお、駅前にタクシーはいる。
簡単な地図をもらい、中正南路、省道9号線を進み、橋を渡ると、上り坂になった。自転車から降りて押して上がると、掃叭石柱への標識があった。脇道を登ると、すぐに石柱のある公園が見え、団体客が見学しているところだった。駅からここまで40分ほど要した。
掃叭石柱から北西への展望。
瑞穗駅南方の舞鶴台地北西端に位置し、眼下には紅葉渓を中心に、手前には舞鶴茶園の茶畑が広がる。川の右側にある低い山の麓には瑞穗温泉のある紅葉部落があり、原住民が住んでいる。
掃叭石柱。
団体客は帰りかけていたので、その後にベンツに乗ってやってきた夫婦の奥さんに記念写真を撮ってもらった。
掃叭石柱。
石柱は地表下1.7mの深さに埋められているという。低い石柱は何度も倒れ、そのたびに立て直されたという。
現地のアミ族には石柱にまつわる様々なタブーや伝説が伝わっており、移動させようとするたびに、奇怪な現象が起きたので、石柱には魂がこもっているとされる。
掃叭石柱。説明板。
これら数トンの重さがある二つの石柱がいったいどこからやってきたか。どんな人が、どんな方法でここに運び、どのように立たせたのか。これらは未だに解明されていない。
国分直一は「台湾考古誌」で、卑南遺跡に残る同様の高さ約4mの石柱を家屋の外壁の残材と見ている。アミ族の現在の住居は木造木壁であるが、移動を重ねる前は石造であったらしく、アミ族と関連が深いとする。
パイワン族、ルカイ族は石柱・石壁造であるが、建築平面の形状が違うという。
12月3日にパイワン族、ルカイ族の住居を見る機会を得たが、家屋の外側に1本の石柱が記念碑・標識的に建てられていることが多かった。
マレーシア旅行のさいも、博物館でメンヒル的な立石を多く見学した。日本での縄文・弥生時代の巨石文化は各地で見られる。住居の外壁かメンヒルなのかは分からない。
9号線をさらに台東方面へ進むと北回帰線標があるので、せっかくなので緩い上り坂を15分ほど自転車を押しながら登っていった。
北回帰線標。標塔。
北緯23度26分22秒の位置にあり、熱帯と亜熱帯の境界線でもある。
一帯は公園で、広い駐車場には多くのバスと自動車が停まっていた。立派なトイレもある。周囲には土産屋も多い。茶園の近くなので大きなヤカンの置物もある。標塔以外には見るべきものはない。
今回はアラスカのオーロラ見学のときに購入したミニ巻き付き三脚を久し振りに持参したので、周囲に人がいなくても自撮りの記念写真は大丈夫だ。石門の西郷記念碑のときに役立った。
北回帰線標付近の墓。
墓地があり、変わっていたので、撮影してみた。主体部は塚であるが、亀甲墓の雰囲気がある。両横には灯籠状のものがある。
奥の台地上には十字架のある墓が並んでいる。原住民の多くはキリスト教徒であることを思い出した。
瑞穂牧場へ行くため、9号線を今度は下りで戻っていき、坂下の橋のたもとで、左折した。ここで、左折しすぎて、掃叭石柱方向へ向かってしまった。10分ほどして、おかしいと気が付き、坂下へ戻り、川沿いにある瑞穂牧場へ向かった。
瑞穂牧場。
牛が10頭ほど牛舎外広場で草を食べていた。
観光バスやマイカーで多くの人が来ていた。
瑞穂牧場。売店。
瑞穂牧場。
瑞穂牧場で生産された牛乳は有名らしい。搾りたての牛乳やアイスクリームを食べた。自転車で汗をかいたあとのせいか、濃厚な味は美味い。
15時過ぎになり、宿を予定している瑞穂温泉山荘へ向かった。