2016年11月30日(水)。
公園東端の保存現場を見学後、公園の正式な入口へ向かった。駐車場の左側に名産の仏頭果などの売店が数軒ある。ほとんど閉まっていたが、のどが渇いたので、店の奥でうたた寝していた主人を起こしてアイスクリームを買った。
右側に入口がある。公園は博物館分館をのぞけば入場無料。係員に展示館の場所を尋ねて向かった。
長方形の粘板岩の箱式石棺が埋葬に使われ、帯状に分布した石棺は住居と同じく北北東-南南西の向きであった。
死者は仰向けにまっすぐに葬られ、足は魂の帰るところであるかのよう聖山とされる都蘭山の方に向けられていた。
1つの石棺には通常一人が埋葬されたが、複数の場合もあった。多数の成人、まれに子供も玉や石でできた装飾品・武器・道具・陶紡輪・土器などの副葬品とともに埋葬されていた。地位の高い者の棺は大きく、石が積まれて外棺となっているものもあり、副葬品も高級で数量が多い。
死者は普通住居の中か付近に埋葬され、家屋と墓が上下に重なり合って出土する。
直径70㎝。用途不明。石臼、柱の支持基板、ネズミ返しなどの説がある。
石床、石壁で構成されている。発掘された家屋は18×5.5mの平面で、住居または貯蔵庫とみられる。
陶製蓋。陶製柄杓。
蓋にはハンドル付きのものや、縁の小さい孔に紐を通して持つタイプなどがある。
高さ4~6㎝の小型陶器の用途は不明だが、祭祀用と推定されている。
抜歯は悪くなった歯を抜いたのではなく健康な歯を抜いたことが墓から出土した人体で確かめられている。
性別・階級に関係なく、全ての人々は上顎部両側の門歯と犬歯を抜かれ、成人と認められる通過儀礼を受けた。
日本においても、弥生時代などの人骨に抜歯の風習が認められることがある。