鞆。太田家住宅。重文。平成25年11月6日(水)。鞆港の中央部・いろは丸資料館から街中に入ってすぐの場所にある。瀬戸内海の近世商家建築を残す太田家住宅は、また鞆七卿落遺跡として広島県指定史跡となっている。玄関上には杉玉も掛かっており、造り酒屋の構えをよく残している。これらの建物群は江戸時代中期から後期にかけて、福山藩の御用酒「保命酒」の蔵元中村家が拡張・増築していったもので、明治に入って廻船業を営んでいた太田家に継承され、今日に至っている。
建物の建築年代は、主屋が18世紀中期、炊事場・南保命酒蔵が18世紀後期、北保命酒蔵が天明8(1788)年、西蔵が寛政元(1789)年、東保命酒蔵が寛政7(1795)年、釜屋・新蔵・北土蔵が19世紀前記頃と考えられている。
入場料400円と高いが、女性ガイドが引率して内部を20分余り説明してくれる。
建物の建築年代は、主屋が18世紀中期、炊事場・南保命酒蔵が18世紀後期、北保命酒蔵が天明8(1788)年、西蔵が寛政元(1789)年、東保命酒蔵が寛政7(1795)年、釜屋・新蔵・北土蔵が19世紀前記頃と考えられている。
入場料400円と高いが、女性ガイドが引率して内部を20分余り説明してくれる。
太田家住宅。玄関や屋根の上には忍び返しなどの防衛設備が設けられている。
太田家住宅。玄関の店土間の上部。綱を引っ張ることにより、窓を開閉する工夫がされている。
太田家住宅。炊事場。
太田家住宅。大団扇。
太田家住宅。酒蔵の通路。保命酒貯蔵用の古備前の甕。
太田家住宅。「酒槽」(ふね)と「はね棒」。「はね棒」には重石がぶら下がっている。
太田家住宅。「酒槽」(ふね)。
太田家住宅。酒製造の工程図。保命酒は清酒と異なり、餅米を主原料とし焼酎を用いて製造した漢方薬酒です。これに十六種類の薬味を漬け込んで製造された。
太田家住宅。酒蔵。
太田家住宅。子供用の乗り物玩具。
太田家住宅。酒蔵。
太田家住宅。酒蔵と井戸。
太田家住宅。主屋。
太田家住宅。主屋。茶室と庭。
太田家住宅。主屋。茶室と庭。
太田家住宅。主屋。上の間。
太田家住宅。主屋。茶室と庭。
太田家住宅。主屋。茶室と庭。
太田家住宅。主屋。大広間。七卿落の間。
文久3(1863)年8月18日の政変後、三条実美ら尊皇攘夷派7人の公卿は公武合体派によって都を追放され長州に下った。その途中8月23日に鞆港に入り、保命酒屋に立ち寄っています。翌元治元年に長州より再び上京した際にも、7月18日から20日にかけ保命酒屋に立ち寄り、主屋と別宅の朝宗亭を宿泊所として利用した。
文久3(1863)年8月18日の政変後、三条実美ら尊皇攘夷派7人の公卿は公武合体派によって都を追放され長州に下った。その途中8月23日に鞆港に入り、保命酒屋に立ち寄っています。翌元治元年に長州より再び上京した際にも、7月18日から20日にかけ保命酒屋に立ち寄り、主屋と別宅の朝宗亭を宿泊所として利用した。
太田家住宅。主屋。大広間。大広間からは庭と反対方向の港の水面も当時は眺めることができた。七卿落の間は文人墨客をもてなした粋な空間でもあった。
太田家住宅。主屋。襖の裏に二階への階段が隠されている。
太田家住宅。主屋。玄関の間の神棚。
太田家住宅。主屋。玄関の間横の小間の茶室。
太田家住宅。主屋。玄関の間。板戸。
内部を一周して玄関に戻った。
12時30分を過ぎ、市営第二駐車場へ戻った。近くのスーパーや土産店で海産物の惣菜を夕食用に購入。広島県の旅行を終え、国道2号線を通り、兵庫県の道の駅「あいおい」へ17時頃到着。
11月7日(木)名阪国道経由で夕刻名古屋へ帰宅した。
内部を一周して玄関に戻った。
12時30分を過ぎ、市営第二駐車場へ戻った。近くのスーパーや土産店で海産物の惣菜を夕食用に購入。広島県の旅行を終え、国道2号線を通り、兵庫県の道の駅「あいおい」へ17時頃到着。
11月7日(木)名阪国道経由で夕刻名古屋へ帰宅した。