世界遺産・熊野古道。大吹峠道。北入口。
2017年2月6日(月)。三重県熊野市。
道の駅「七里御浜」で起床。昨日とはうって変わって快晴。大吹峠は有名ではないが、熊野古道には珍しい竹林が広がる古道ということで選択。大泊から国道311号線を通り半島を縦断し、案内地図にトイレがある北入口へ到着。残念ながら、老朽化のためかトイレは閉鎖されていた。
10時18分頃出発。
大吹峠道。北入口上。国史跡石標。
国史跡石標は必ず見かけたが、ここは下に小さい地蔵像が置かれていた。
大吹峠道。北入口上。
まもなく、孟宗竹林が現れてきた。杉も多い。竹林というのは里山の登山道でもよく見かける。
大吹峠。
10時30分過ぎに到着。
昭和25年頃まで大吹茶屋が営業していた。茶屋跡にはおにぎりや寿司を包むのに使ったバランやハナミョウガが植えられ、今も残っている。明和5(1768)年での茶代1文、昼食付き5文という記録がある。
猪垣。
峠付近の猪垣は、猪や鹿の進入を防ぐため江戸時代中頃に約10kmにわたって築かれたもので、現在でもその形を残している。
孟宗竹林。
大吹峠の南側へ少し下ってみると、孟宗竹林はあるが、かなり伐採されていた。自然災害のためかも知れない。杉も見られる。
苔の石畳。峠から北入口への帰途。
苔庭のような風情がある。石畳には足は置けない。
10時54分ごろ、北入口へ帰着。
すぐ北にある波田須の文字岩を目指す。
波田須の文字岩への入口。
国道311号線の波田須集落の上に着いたが、文字岩の所在地が分からなかった。近くに軽トラから降りてきた老夫婦がいたので、集落の中の位置と道順を教えてもらった。この狭い車道は熊野古道の一部で、海側に入り、道標に従って民家の軒先を進むと、田んぼの北側に大きな文字岩が現れた。
波田須の文字岩。
大きな岩の上部に「勤慎忍」と刻まれている。戦国時代の物語に富んだ貴重な史跡である。
波田須の文字岩。説明板。
西丹後守は新宮城主堀内氏善の配下の武将であったが、関ヶ原の戦いで西軍に付いた堀内氏が熊本へ退転したのち、波田須に隠棲した。後年、父を西丹後守に殺された武士の遺子が夫婦連れで仇討にきたとき、逆に返り討ちにしてしまった。
その後、西丹後守は自戒の言葉として、「勤慎忍」の文字を刻んだ大岩を屋敷から見える場所に建てたといわれる。
西村家の先祖代々の墓石群の中に西丹後守の墓が残っている。
30分後に波田須神社の場所が分からずに、国道を戻ったとき、場所を教えてくれた老夫婦に再会した。西丹後守に討たれた若夫婦の墓も近くにあるという。遺子はまだしも、その妻まで殺してしまったのだろうか。
老人は地区の語り部で、旧制木本中学に大吹峠を越え、6㎞の道のりを通ったという。老妻は大吹峠にあった茶屋を営んだ人の末裔だという。司馬遼太郎になった気分がした。
波田須からの海の風景。
このあたりから眺める熊野灘は熊野古道の中でも秀逸といわれている。
文字岩への入口から北100mほどに見つけた駐車スペースは台地状になっていて、紀勢線波田須駅へ下る道の上部にある。
波田須の石の祠。
駐車した台地の突端には無名の石の祠があった。白い海辺の玉砂利が敷き詰められている。
熊野にはあちこちに神々が眠っている。
徐福の宮を目指して、集落内の熊野古道を進む。車道横の「おたけ茶屋」、「弘法御足跡水」の説明を読みながら進むと、波田須神社と徐福の宮の分岐があり、徐福の宮方向へ進むと、3台ほどの駐車スペースがあった。そのすぐ上に、徐福の宮があった。
徐福の宮。
こんもりとした丘が徐福の宮であった。波田須には、二千年以上の昔に不老不死の仙薬を求めて中国からやってきた徐福が上陸したと伝えられている。
寛政7年(1795)、伊勢久居の医師で作家でもある橘南谿は波田須の徐福の宮を訪ねて感動し、徐福や秦の始皇帝を偲んだ詩を詠んでいる。
徐福の宮に登り、社殿の後ろに回ると巨岩が積み重なっていた。分岐に戻り、波田須神社へ向かう。
徐福の宮と熊野灘。
徐福の宮と熊野灘。国道311号線徐福茶屋の横から。
徐福茶屋前のバス停横に駐車したが、波田須神社が分からなかったので、国道を戻り、語り部夫婦に再会し、場所を尋ねると、バス停横の石段を登ったところに波田須神社があると分かった。
波田須神社の鳥居。
徐福の宮、徐福茶屋と熊野灘。
鳥居前の展望所から眺める波田須は海と山の間に棚田や民家が点在する伝説と神話の里であった。
波田須神社にこだわったのは、「波田須の道」に鎌倉時代の石畳があるからで、ここよりも北側にあるようなので、国道を北進し、東波田須のバス停付近に駐車して、集落の中を登ると、「波田須の道」北入口と説明板があった。
「波田須の道」北入口の説明板。
この道に残る石畳は、一つひとつが重厚で大きく、敷き方も豪快で鎌倉期のものといわれ、伊勢街道では一番古い時代のものである。
所々に土砂流出を防ぐため、「洗い越し」とよばれる雨水を流すための道路横断側溝も造られている。
世界遺産。国史跡。「波田須の道」。鎌倉時代の石畳。
説明板から進むと、すぐに鎌倉時代の石畳が現れた。確かに大きく荒々しい石畳で、質実剛健な鎌倉時代の雰囲気を感じる。
国道311号線を北進し、曽根へ向かった。