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三重県東紀州 曽根城跡 熊野古道 曽根次郎坂・太郎坂

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曽根城跡。城山公園の駐車場。三重県尾鷲市。
201726日(月)。
尾鷲市役所南輪内センターで、曽根郷土資料室を見学し、史跡マップなどのリーフレットを入手し、曽根城跡へのアクセスを尋ねたのち、城跡への道標に従い、紀勢線の線路を越えて、北進し、城山公園の駐車場らしき所に着いたが、先に進めそうだったので崖下の道を進むと、行き止まりの最終駐車場に着いた。軽トラに戻ってきた男性は4月に満開となるオンツツジの手入れをしていた。
頂上城跡への遊歩道は山城跡とは思えないほど公園の道として整備されて歩きやすい。
 
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城山公園駐車場から賀田湾の風景。
中央下に曽根の集落。中央左は飛鳥神社の樹叢。
 
曽根城は室町時代後期の弘治年間(1555年~1558)ごろ曽根弾正が築城した。そのころ、南輪内地方に盗賊が横行したため、曽根・賀田・古江・梶賀の四郷が相談し、治安維持のため近江国の佐々木宇右衛門正吉を招いた。この宇右衛門は当時近江の甲賀を領していた六角氏の支族で、一族郎党の甲賀忍者衆20数人を率いて曽根に着くと、今の曽根集落内に居館を築き、曽根浦の南にそびえる城山の上に、山城を築いた。
佐々木宇右衛門は名を「曽根弾正」と改め、南輪内四村と二木島浦などの四村を領有した。曽根氏ははじめ伊勢国司北畠氏に属していたが、北畠氏が織田信長によって滅ぼされると、曽根弾正と子の孫太郎は新宮を拠点とした堀内氏善の配下となり三木城を攻めた。関ヶ原合戦で主家堀内氏善が西軍に属して改易となると、曽根氏も没落した
 
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曽根城跡。城跡入口。
尾根を左に登ると緩やかな山頂部の稜線に着く。このあたりから城跡となる。
 
曽根城跡は東西130m、南北30mの広さで、10の郭があり、内堀・外堀・井戸跡などが残っている。
 
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曽根城跡。外堀。
 
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曽根城跡。内堀。
 
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曽根城跡。主郭らしき広場。
 
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曽根城跡。主郭の東側。
山上はゴツゴツした岩場が多い。
 
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曽根城跡。主郭の東側。東屋付近から眺める賀田湾。
 
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曽根城跡。主郭北の崖上にある物見岩へ。
 
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曽根城跡。物見岩から眺める賀田湾西側。
 
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曽根城跡。物見岩から眺める賀田湾東側。
往復40分ほど見学して、駐車場へ戻る。
 
熊野古道、曽根次郎坂・太郎坂を歩くために、登り口へ向かう。公園下を右折し、曽根集落の南端にある古道登り口方面へ直行した。国道311号線の路肩近くに駐車。登り口手前にはトイレ完備。
登り口からすぐ上の向井地墓地の一角に曽根弾正五輪塔がある。
 
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曽根弾正五輪塔。
室町末期の五輪塔一基(全高86cm)、江戸初期の五輪塔一基(全高101cm)、江戸初期の板石塔婆一基(全高95cm)があり、五輪塔は曽根弾正とその夫人、板石塔婆は長男孫太郎のものとみられている。『紀伊続風土記』に「曽根弾正の墓は安定寺にあり」とあるが、これは現在の場所の安定寺ではない。以前の安定寺は向井地墓地の上にあった。
曽根弾正の孫・久三郎は関が原の戦で西軍に味方して敗戦したため曽根を去り、二木島へ移住した。そのため、同族の向井氏(現在中野氏)が北座(宮座)として曽根浦の神事を統括し、弾正の墓地を祀ってきた。
 
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「南無阿弥陀仏 名号碑」。熊野古道。曽根次郎坂・太郎坂。
以前の安定寺があったとされる向井地墓地の上にあり、「名号碑」には享保31718)年と安定寺元空和尚の名が刻まれている。
このあたりの南の関所跡が、庚申供養塚とは気づかなかった。
 
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猪垣。曽根次郎坂・太郎坂。このあたりの猪垣は長大で分かりやすい。
 
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熊野古道。曽根次郎坂・太郎坂。
登り口から折り返し地点の甫母峠(ほぼとうげ)まで1.7㎞と、今回の古道歩きでは一番長距離だった。甫母峠までは40分弱。日が当たらないため、寒さを感じた。
 
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鯨石。
石切り場などランドマークが多いので、歩行目標となる。
 
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甫母峠。曽根方向。熊野古道。曽根次郎坂・太郎坂。
「曽根次郎坂・太郎坂」の名は、かつてこの甫母峠が国境であったことに由来する。大化2年から天正10年まで(646年~1582年)の936年の間、甫母峠は志摩の国と紀伊の国の国境であった。
甫母峠まで曽根の人々にとっては自領であり、峠から向こうは他領であり、「曽根の自領坂・他領坂」から、いつしか「曽根次郎坂・太郎坂」と呼ばれるようになった。
甫母峠にはほうじ茶屋跡がある。「ほうじ」とは、「榜示」という領地の境界を示すものに由来する。
 
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甫母峠の地蔵。二木島方向。
伊勢路の古道の中で、これほど丁寧に保護されている地蔵はない。
曽根側登り口へ下る。169分帰着。
 
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曽根集落の国道横から眺める曽根城跡。
中央手前の低い山。
1630分過ぎになり、尾鷲熊野道路へ向かい、尾鷲市街地へと進んだ。

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