世界遺産。熊野古道。ツヅラト峠道。北登り口付近。三重県度会郡大紀町。
2017年2月7日(火)。
高塚山展望台から「紀伊の松島」の風景を眺めてから、国道42号線を北進、紀伊長島を越えて、大紀町に入り、紀勢線梅ヶ谷駅付近から栃古へ向かい、栃古川沿いに舗装道を進むと、橋の手前でツヅラト峠道登り口の標識を見た。駐車はできないようだったので、その高野橋を渡った右の空き地に駐車した。
山の神。ツヅラト峠道。北登り口付近。
空き地の山側には山の神が祀られていた。
ツヅラト峠道。北登り口。
左側は未舗装の林道でツヅラト峠の点前50mほどまで登って行く。
ツヅラト峠までは20分余りで着いた。石畳のない緩い登山道。峠から先は石畳道が下るという。
ツヅラト峠。
標高357m。かつて「伊勢国」と「紀伊国」の国境であった峠。「ツヅラト」とは「九十九折」のことで、紀伊長島へ下る峠道はカーブが連続しているという。
中世、伊勢から熊野へ向かう旅人は、この峠に立ってはじめて熊野の海を目にした。江戸時代以降、紀伊へのルートが荷坂峠に移行した後も、昭和初期まで生活道として使われていた。
峠手前の林道から現れたカップルが海を眺めている。
ツヅラト峠頂上の見晴らし台からの風景。熊野灘と赤羽川河口に広がる紀伊長島中心部。
熊野灘に浮かぶ大島は、江戸川乱歩の少年探偵シリーズ「大金塊」と関係があり、江戸川乱歩が長島沖に停泊中の汽船の中でこの島を見てヒントを得て岩屋島の名で登場させている。
ツヅラト峠見晴らし台の風景案内図。
峠から13分ほどで、登り口まで下山。紀伊長島市街地にある紀伊長島城跡の見学へ向かう。
魚まち散策マップ。紀北町紀伊長島区。
紀伊長島城跡の南麓にある登城口の長楽寺へ向かう。手前の道路が一方通行で、長楽寺横の多目的会館駐車場に駐車できるか迷ううちに、一方通行路を終点まで行き、南の堰堤下に駐車した。北に歩くと、この案内図が掲示されていた。
多目的会館の駐車場は各所にあり、駐車しても良いという感触がした。登城道は長楽寺のほかに北西の長島神社からもあるようだった。
長楽寺。裏山が城山。
長島城主加藤氏の菩提寺。説明によると、加藤氏の居館跡。長島城は詰城であったようだ。長楽寺は、伊賀の武士で、加藤氏の第5代加藤甚五郎の孫娘の婿となった服部兵庫によって、寛永(1635)年に開かれた。
長島城跡。説明板。長楽寺。
長島城は南北朝時代の至徳元年(1384年)伊勢北畠氏の家臣であった加藤甚左衛門が築城した。応永2年(1395年)に赤羽谷の奥村氏が尾鷲・紀伊長島に向かって攻めてきたため、加藤甚左衛門は尾鷲で迎え撃ったが内通者がいたため敗れ、その後、加藤甚左衛門は自刃した。
第5代の加藤甚五郎は17歳のとき長島を出奔し、諸国流浪の末、織田信長に仕官した。その後、信長の三男で伊勢国司となった織田信雄の命により、熊野征伐を命じられ天正4年(1576年)長島城に再び入った。一時は三木城を攻め落としたが新宮の堀内氏善に敗れ、退いた長島城も攻められ、赤羽谷の奥村氏の内通もあって落城し、加藤甚五郎は自刃した。54歳であったといわれている。
愛宕神社。
長楽寺右横の狭い道を進み、石段をひたすら登っていく。登り始めて約10分で城腰山(長島城跡)中腹の表忠碑に到着する。さらに石段を登ると防火神の愛宕神社に着く。
愛宕神社上の登城道。
神社で石段の道はなくなるが、見当をつけて神社の左裏から、シダに覆われた坂を登ると階段道が現れる。
愛宕神社上の登城道。
手すりがあるので、登城道と分かるが、下草が多い。
長島城。主郭。
十数m四方の平地がある。展望は全くない。
長島城。主郭。
2段になっており、上段には通信施設が建てられている。
長島城。主郭。西側。
落差の大きい切岸がある。
長島城。主郭。東側。
石碑の下へ道が続いていたが、かなり荒れているので下りなかった。
200mほど下ったところに、加藤甚五郎の墓と伝わる五輪供養塔があるという。
下りで道を間違え、仏光寺の裏口に着いたので、登り返したりして1時間ほど要した。
マップにある北西の紀伊長島郷土資料館へ向かった。入場無料。近日中に至近地へ移転予定。
長楽寺古絵図。複製。紀伊長島郷土資料館。
安永2(1773)年長楽寺5世性慶によって描かれ絵図。長島城跡の古図面である。
五輪供養塔と長島城跡。説明。紀伊長島郷土資料館。
長島城跡から眺める風景の古写真。紀伊長島郷土資料館。
旧新町学校(長島学校)玄関破風彫り物。「甕割り温公」。紀伊長島郷土資料館。
明治23年に竣工した学校校舎の部材。司馬温公の故事。
学校校舎の鬼瓦。紀伊長島郷土資料館。
17時近くになったので、国道を南進し、「きいながしま古里温泉」で入浴。下呂温泉なみの濃厚な泉質で今回の旅行では一番良い温泉であった。
その後、道の駅「紀伊長島マンボウ」へ。翌日は、国道42号線・23号線を走って、昼過ぎに名古屋の自宅へ帰宅。