旗後灯台。正門前。
2016年12月4日(日)。高雄市。
旗後砲台横の遊歩道を北へ進むと、軍事施設の建物跡が左右に現れる。小規模だが、太平洋戦争中の日本軍の施設のように思われた。旗後灯台が見えたが裏門だったので、一旦下り登り返して正門へ8時50分頃着いた。プレートには9時開門と書いてあった。
旗後灯台の正門前から南東の高雄港方面。
旗津フェリーの船と遠くに霞む85大楼ビルが見える。
9時3分頃開門。遅いなと思ったら、裏門を先に開けていた。
旗後灯台。
塔頂高15.2 m。初期の灯台は清により1883年に建設され、日本統治時代の1918年に現在の灯台に改築された。
1860年イギリス・フランス両国はアロー戦争により、清朝に対し鶏籠(現在の基隆市)、滬尾(現在の台北県淡水鎮)、安平(現在の台南市安平区)、打狗(現在の高雄市)の4つの港の開港を迫った。1864年の打狗港の開港直後から灯台建設の声が上がり、イギリス人技師を招聘して1883年に西洋式灯台が旗後山に完成した。当時はレンガ造りの四角形の塔で、器具や設備は全てイギリスから購入したものだった。
日本統治時代の1918年、高雄港が拡張され、新しい灯台が旧灯台の位置に造られた。灯台の横には西洋式の城壁の事務所が設けられ、芝生の上には日時計も造られた。
新灯台は本体が八角形で、最上部は円筒状になっており、ベランダからは遠方を眺望できる。最上部には風向儀があり、その上には漢字で東西南北の文字があり、本体は白色、最上部は黒色になっている。
太平洋戦争で多少の被害を受けたが、戦後に何度か補修を行っている。現在では内部の設備も最新式の4等回転レンズ灯が備え付けられ、光度は85万カンデラとなっている。
旗後灯台横からの展望。南東の高雄港方面と旗津市街。
旗後灯台横からの展望。北の寿山方面。
旗後灯台敷地の模型。灯台内1階の資料室。
灯台内1階の資料室。旧設備が展示されている。
施設内を通り裏門から出て、旗後砲台横の遊歩道へ進む。
旗後砲台。
西南の隅部。旗後灯台が奥に見える。
往路の坂道を下ると、多くの見学客が登ってくるところだった。
旗后山の麓。旗後砲台・灯台の入口付近。
イカが吊るされていた。民家からはマージャンの音が聞こえてきた。日曜日の漁港風景であった。
旗津フェリーに乗り、地下鉄で高雄市立歴史博物館の最寄駅である隣の駅の塩埕埔駅で下車。