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ロタ島の史跡 ロタ洞窟博物館 ソンソンの南洋興発製糖工場跡 旧日本軍砲台跡 ハニー・ガーデン トンガ洞窟

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ロタ洞窟博物館。2013年4月12日(金)。ロタ島への日帰り観光後半。サバナ高原から下って、ソンソン方面へ向かい、13時30分頃ロタ洞窟博物館へ立ち寄る。外観が博物館らしくなく、駐車場も土手の上しかないので、下で躊躇していると、上から女性が呼びかけたので、階段を上がり、入場することにした。料金は10ドルといわれ、5ドルじゃないのかと思ったが仕方ない。内部は奥に細長い洞窟で入口付近に展示ケースが多い。

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ロタ洞窟博物館。石臼などの食料生産用の石器だと推測。年代や場所は不明。この博物館はチャモロ文化の所蔵品が多い。グアムには現在博物館はないので、チャモロ文化の点ではマリアナ諸島随一と思われる。スペイン支配時代にはチャモロ人はグアムへ集められたが、一部はロタへ逃亡してチャモロ文化を維持したと言われており、ロタ島にはチャモロ文化が良好に保存されているという。また、その点においてロタのチャモロ人は誇り高いという。

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ロタ洞窟博物館。石器類。

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ロタ洞窟博物館。動物・魚貝類の骨角器。漁労用具。

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ロタ洞窟博物館。石斧。

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ロタ洞窟博物館。スリング。石の飛び道具。

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ロタ洞窟博物館。日本統治時代のガラス容器。

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ロタ洞窟博物館。日本統治時代のレンガ。品川煉瓦、ニッサンなどの名が見える。

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ロタ洞窟博物館。日本統治時代、南洋興発の製糖工場関連の生産用具とのこと。

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ロタ洞窟博物館。日本軍の機関銃かと思われる。
20分ほど見学し、ソンソンへ。

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ソンソンの南洋興発製糖工場跡。ソンソン村から西港へ行く入口近くにある。シュガートレインのSLと工場跡がある。日本統治時代、ソンソン村は日本人居住区となり、チャモロ人は内陸部に住まわされた。

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シュガートレインのSL。ドイツ製という。シナパル村から約25kmの距離をサトウキビやココヤシなどを運んでいた。

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南洋興発製糖工場。サトウキビのジュースを濃縮してシロップを作り、さらに濃縮すると砂糖ができる。ロタの製糖工場で主に生産されたのはラム酒などの酒類であった。

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南洋興発製糖工場跡。赤レンガの要塞のように残っている。

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南洋興発製糖工場跡。

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南洋興発製糖工場跡。

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南洋興発製糖工場跡。

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千本椰子林。製糖工場跡からさらに西へ進む。戦後、アメリカ政府により椰子が千本植えられたという。

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南洋興発製糖工場跡西の桟橋跡。千本椰子林の海岸はトゥイックスベリー・ビーチとよばれる波穏やかな海岸で、東側には製糖工場用の桟橋跡が海に伸びている。
ソンソンの東側から海沿いの道路を進む。

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旧日本軍砲台跡。砲身7mの6インチ砲を収容する砲台が無傷で残っている。

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旧日本軍砲台跡。内部。ソサンハニヤ湾を隔てて、ソンソンの西につながるタイピンゴット山が見える。

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タイピンゴット山。砲台跡付近から眺める山の姿はウエディングケーキ状として有名。
砲台跡を見学していると、車で通りかかった日本人男性に声を掛けられる。ロタ島に長期滞在している千葉県出身の男性だった。ハニー・ガーデンを見学したいというと、案内するという。

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ハニー・ガーデン。野口五郎が結婚式を挙げたことで有名らしい。最近は開いていることが少ないようだ。偶然にも、同じツアーで観光コースの女性3人とガイドが見学を終えたところだったので、男性と顔見知りの係員の女性に了解を取ってもらって、写真を撮ることができた。
昼食を食べていないので、ソンソンのスーパーへ連れていってもらった。菓子と飲料を買って、トンガ洞窟へ向かい、少し話をしようということになった。

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トンガ洞窟。ソンソンの村の北東にある洞窟で、昔トンガからカヌーで渡来した人々は居住したことから、この名がある。日本統治時代は神社が建てられ、今でも石垣が残っている。
洞窟の山上には十字架が置かれ、サイパンのタポチョ山と同じく、イースターには麓から徒歩で十字架を運ぶ行事が行われているという、

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トンガ洞窟。戦時中には日本軍が野戦病院として使用し、神威洞とよんでいた。

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トンガ洞窟。神威洞の石額には海軍大将末次信正書と記してある。

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トンガ洞窟。内部は広く、コンクリートで大きな平台が造成されている。
男性の話。愛知・岐阜出身の滞在者もいる。暮らしやすいが、蚊取線香が大量に必要。ロタまで来る中国人観光客は少ない。チャモロ人は35歳で年金が貰えるので働かないが、来年からは制度が変わる。
16時過ぎにロタリゾートへ帰らなければならないので、10分ほど話して分かれた。レンタカー会社の係員が来るまで ロタリゾートでしばらく休憩し、ロタ空港へ送迎された。空港のアイランダーレンタカーのオフィスで料金を支払った。

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ロタ空港でセスナ機に搭乗。当日は雲が多く、サイパンからの到着便が遅れ、出発も遅れた。飛行ルートも雲の合間を捜しての飛行になり、40分ほどかかり、19時頃サイパン空港へ到着した。
そのまま、ホテルへ帰り、2時過ぎまで寝て、3時過ぎにピックアップされ、空港へ。6時のデルタ便で4月13日(土)8時過ぎに成田へ到着。世田谷と戸越の商店街で見学、飲食して、深夜の夜行バスで名古屋まで帰った。

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