2017年7月8日(土)。
第12号坑は8mと短いが、車馬の複製品が置かれている。
漢時代の車制度。漢の時代の車は多種で、身分により乗用できる車が異なった。皇族用には玉輅・乗輿・金根(赤い車輪に金の華飾り、青い幌付きの馬車を鬣と尾を朱に染めた六頭の白馬が牽く)・安車・立車などがあり、一般官僚用の車には軺車(しょうしゃ)・輜車(ししゃ)・輧車(へいしゃ)
などがある。軺車は文官・武官の乗る車であった。
陽陵の外葬坑から出土した車馬遺物の多くは軺車などで、曲がった轅(ながえ)と二つの大きな木製車輪を持つ。車箱は幅広く、上に傘蓋が挿され、後にドアがある。これは当時の中央省庁に最も常用された車の一種である。
車馬行列は社会的地位の誇示といった意味をもつ。
主人の乗る車の後方には,騎士(従騎)がいて,それに従軺車(主人の秘書官などが乗る),従輧車(主人の夫人などの女性が乗る),従輜車(戦争では軍需品を載せるが,実際は車行にあたっての必要品を積む)などが続く。車馬の前後には、前駆となる騎吏・伍伯、警備にあたる騎士・歩卒が付いた。
陽陵の外葬坑は、東に21、西に20、南に20、北に21という坑数が確認されている。
以後は外葬坑の地面レベルからの見学となり、文物展示室へと続く。
六畜(馬・牛・羊・豚・犬・鶏)のミニチュアの動物俑。農耕用の畜力や食用となる動物で、馬は騎馬用でなく牽引用の馬である。