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三重県鈴鹿市 伊奈冨神社 伊奈冨神社庭園 稲生民俗資料館

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旧稲生小学校校舎の鬼瓦。稲生民俗資料館。三重県鈴鹿市稲生西。
2017513日(土)。
津市北部の道の駅「津かわげ」で起床。朝から強い雨が降っているので、出発も遅れた。本日は鈴鹿市方面。
大黒屋光太夫記念館へ向かう途中に、鈴鹿サーキットの東にある伊奈冨神社(いのうじんじゃ)の庭園が気になったので寄ってみた。水田地帯を抜けると、神社の駐車場があり、その横に稲生(いのう)民俗資料館があった。10時開館前に、職員が来たので、入館してみた。
 
稲生という地名が示すように稲作との関わりがある古い歴史をもつ地域であり、付近には古墳や窯跡が確認されている。
 
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旧稲生小学校校舎の写真と鬼瓦の一部。
稲生民俗資料館は、「稲生」という地名にちなんで、稲や農業に関係ある資料を中心に展示しているが、奥の部屋にある瓦関係の資料に興味を持った。今年2月に三重県の紀伊長島郷土資料館で立派な旧小学校の鬼瓦を見て感心したからだ。三重県には学校建築の鬼瓦が良く残っている。518日に伊賀上野の旧小田小学校を見学したが、屋根にはやはり複数の鬼瓦が葺かれていた。
 
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稲生地区の瓦。
稲生地区の瓦産業や鬼瓦などが展示されている。
 
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生地区における瓦製造。
江戸時代中頃に三河から伝わったという伝承があるが、江戸時代後期から昭和にかけて地場産業として盛んだったという。大正時代までは人力・手工法で造られていた。
 
庭園池横の参道をたどって伊奈冨神社へ向かった。
 
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伊奈冨神社(いのうじんじゃ)。社殿。
主祭神は保食神大国道命(うけもちのかみおおくにみちのみこと)。
保食神は、生命の根本たる稲をはじめとする五穀の豊穣、食物を司る神とされる。
 
当神社は社伝によれば、崇神天皇五年(93年)、東ケ岡(鈴鹿サーキット地内)に神霊が出現し、霊夢の神告により、「占木」の地にて社殿造営の地を占い、神路ケ岡に大宮・西宮・三大神を鎮祭したという。その後仲哀天皇の御子品屋別命の子孫(磯部氏)が代々当社の神主として仕え、雄略天皇五年には主祭神保食神には「那江大国道命」の神号を賜わった。天平年間、行基が別当寺の神宮寺を建立し、平安時代天長年間には弘法大師が参籠の折、菩薩堂を建立して三社の本地仏を祀り、七島池を一夜にして造ったという。
貞観7(865)年4月、正五位上より従四位下に進階し(三代実録)、延喜式内社に列す。当時の神領は東は白子、西は国府、南は秋永、北は野町に及ぶ広大な面積であった。鎌倉時代中頃には正一位に進階し、「正一位稲生大明神」として武門武将の尊信厚く、鎌倉将軍惟康親王は神田二百二十町歩、北畠国司は社領千石御供田十二段を寄進、江戸時代には、紀伊徳川家より造営料を寄進され大造営がなされた。
 
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伊奈冨神社。社殿。
拝殿内では、結婚式前の準備をしているらしく、和服の男女が記念撮影をしていた。
 

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伊奈冨神社庭園。説明板。
この庭は自然湧水で、池の中には島が七個あるので「七島の池」とも言われ、東西70m、南北15m、水深3070㎝に及んでいる。
島は西より二番目が最も大きく、橋がかけられ、小さなほこら跡がある。
室町時代の作とされる「勢州稲生村三社絵図」にも描かれている。
日本最古の「七島式庭園」として保存状態もよく、価値も高い。
 
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伊奈冨神社庭園。
大八島(おおやしま)をあらわした細長い池が直線的に並んだ庭園である。
 
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伊奈冨神社庭園と参道。
現在、池中の島を中心に修復中である。修復されたら国名勝にしても良いぐらいの庭園であった。
 
大黒屋光太夫記念館へ向かう。

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