旧亀山城多門櫓。三重県亀山市本丸町。2017年5月14日(日)。
亀山市歴史博物館から亀山城本丸跡へ向かった。西出丸跡に駐車場が設けられている。本丸跡へ歩くと亀山神社があり、その内域に天守台があったという。間違えて取り壊された天守閣の代用として北側に三重櫓が建造されたが、現存しない。
多門櫓は東南隅に建造された櫓で、元々は寛永18(1641)年に本多俊次が、東西8間、南北6間、建坪32坪、平屋建入母屋造、白壁塗込めの櫓を築いたといわれている。
現存する櫓は亀山藩主が石川氏であった18世紀の後半に同じ建築構造・面積により建築され、武具倉庫として使用された。
明治6(1873)年には、廃城令により2人の旧藩士に払い下げられ、木綿段通の授産場として使用されることになり、亀山城内の建物としては唯一取り壊しを免れたことにより、「城下町かめやま」のシンボルとなった。2013年、約7000万円の費用により、復原修復工事が実施され、黒い板壁が真っ白な漆喰の大壁となるなど、江戸時代に建てられた当時の姿に復原された。
石垣の高さは13.5mで、長大な自然石を用いた緩勾配の野面積みで、宝篋印塔などの石造物の転用もみられる。
内部は、4月7日(日)以降の土・日曜日、祝日(午前10時~午後4時)に無料公開されている。
建てられた当時は、土間で天井のない吹き抜けであったことが分かった。出入口や窓も、武具倉庫として建てられた、仕切りのない大きな部屋の当時の状態に戻した。
床下の礎石遺構を保護するため、新たに板床が設けられた。
解説。
和小屋組み。小屋組みは現わしのまま。
鬼瓦、石川氏の家紋「丸に笹竜胆」。鯱瓦。
平成24年12月14日(金)午後9時頃、不審火による火災が発生した。火の気のないところからの出火であり、放火とみられる。
本丸跡北から濠端に下る。橋を渡り対岸から東へ進み、復元整備された二之丸北帯曲輪へ向かう。
復元整備された二之丸北帯曲輪。上部には亀山西小学校がある。
説明板。