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三重県伊賀市 水を祀る古代遺跡 城之越遺跡

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城之越遺跡
(じょのこしいせき)。北西端から3つの泉方向。国史跡・国名勝。伊賀市比土。
2017517日(水)
城之越遺跡は古墳時代の聖なる泉として水を祀った祭祀遺跡で、古代の浪漫を感じ取ることができる。また、伝統的日本庭園の造形美と技術の系譜を考えるうえで、庭園史上の価値も高く評価されて名勝とされた。
 
伊賀市南端の伊賀鉄道比土駅近くにあり、線路東側に歴史公園として公開されている。入場料200円。併設された「城之越学習館」には、土器や木製品など様々な出土品が展示されている。
 
遺跡は、上野市域最南部、周囲を低丘陵で囲まれた1.5㎞四方の小盆地の東端に所在する。遺跡の西方約700mのところを流れる木津川は、7km北流して上野市市街地西端に達し、そこから山間部を西に向かい、笠置・山城地方へと続いている。
 
平成3年の発掘調査により、古墳時代前期(4世紀後半)に築造された3か所に湧水源をもつ大形の溝とともにそれを取り込むように古墳時代から中世まで連続的に推移する竪穴住居跡群や掘立柱建物群が発見された。
 
大溝は石組、貼石、立石で修景されており、出土遺物からみて祭祀の場として造られ使われたものである。また、竪穴住居跡は総数29棟以上、掘立柱建物跡は総数50棟以上が検出された。区域は、低丘陵の裾から北西になだらかに下る水田中の微高地であり、約13000㎡の範囲である。
 
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城之越遺跡。泉が湧く広場の中央部から大溝が流れ出る北西方向。
大溝はその上流に、それぞれ1213mの間隔で3か所の湧水をもち水源としている。
 
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城之越遺跡。中央の泉。
中央と東の湧水部には桝状の石組を設け、水の浄化と水量調節を行っている。
 
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城之越遺跡。東の泉。
 
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城之越遺跡。西の泉。
西の湧水部は素掘りの窪地状を呈している。
 
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城之越遺跡。中央と西の泉の合流点方向。
中央と西の泉から、それぞれ幅2mほどの流路が形成される。2つの泉の合流点では岬状の地形を造成し、50㎝ほどの高さの石を立石状に組み込んでいる。
両岸部には拳大の石を貼るようにまた小口積みのように詰め並べている。
 
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城之越遺跡。
3つの泉の合流点と水辺に下る階段。
中央と西の泉の合流点から約15m下流において、東端の湧水からの流路と合流し、岬状の地形を造成している。
この岬にはやや大型の石が集積しているが、もとは階段状の構造で水面に下りる施設と考えられる。流路はここから一本で幅約5mの素掘り溝となり北西に流れる。検出された溝の長さは約50mであるが、溝は伊賀鉄道線路敷を越えてなお続くことが判明している。
岬や貼石護岸上方の台地状および広場状の一定の区域には建物などの遺構は存在しない。
 
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城之越遺跡。
3つの泉の合流点と水辺に下る階段。
 
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城之越学習館。祭りの風景。
 
遺跡全体での遺構の変遷は、まず古墳時代前期後半(4世紀後半)頃、竪穴住居が広く散在するとともに遺跡の北半部中央に大溝が素掘りの形で構築された。
続いて大溝上流部に護岸の貼石や岬部分の立石、湧水部での石組が施された。この時期には、大溝以外には顕著な遺構がなく、大溝とそれに接続する広場状の空間は独立した祭祀の場として存在した。
5世紀に入ると、大溝での祭祀は継続するものの大溝自体は埋没し始め、周囲に竪穴住居や掘立柱建物が造られてゆく。
古墳時代後期(6世紀)には、大溝の立石や貼石部にも埋没し祭祀の存在もわからなくなる。周囲では倉庫状建物を含む掘立柱建物が多くなってくる。
続いて奈良時代に入ると大溝は完全に埋没し、遺跡全体に掘立柱建物が建てられ、竪穴住居も造られる。大溝の上部埋土に「建」の墨書をもつ土器が入る。平安時代から中世にかけては建物が疎らになる。
 
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城之越学習館。イメージ絵画。
 
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城之越学習館。祀りのイメージ。
湧水を利用した水の祀りは縄文・弥生時代にも存在したとみられる。弥生時代には井戸と銅鐸が伴出する事例がある。
 
5世紀中頃の奈良県御所市の南郷大東遺跡の流水祭祀、宝塚1号墳の湧水形施設埴輪、導水形施設埴輪および大阪府八尾市の心合寺山古墳の囲形埴輪にみられる祭祀、飛鳥時代・斉明天皇時代の酒船石遺跡の祭祀へと発展していったとみられる。
 
古代の宗教観念として、飲むと若返るといわれる「変若水(おちみず)」があり、正月に汲む若水の風習として伝わっている。
 
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壺。高杯。甕。出土品。城之越学習館。
遺物は主として大溝から検出されている。土器では、小型丸底壺(胴部穿孔付を含む)と高杯(内部朱彩付を含む)が多い。
 
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飾弓。レプリカ。出土品。城之越学習館。
 
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案(小机)。レプリカ。出土品。城之越学習館。
木製遺物では、このほか日常品、建築部材のほか刀形、剣形などが出土している。
 
大溝とこれに接する場所で祭祀が行われていたことは確実であり、かつ、祭祀関係の遺物がほとんど流路から検出され、湧水部自体からの出土品が僅少であり、湧水を清浄に保っていたことから、湧水自体を聖なるもの、聖なる地として祭祀が行われたと考えられる。
古墳時代の集落における祭祀形態と明確な祭祀場の関係を知る上で類例の少ない貴重な史跡である。
 
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名張市の美旗古墳群。城之越学習館。
写真ほぼ中央にある県内で2番目の大きさを誇る馬塚古墳は全長142mで、遺跡から南西へ約3㎞の地点にある。
美旗古墳群は46世紀に築造された伊賀地方で最大規模の首長墓群で、城之越遺跡を祀った勢力と関連があるとされる。
 
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美旗古墳群からの出土品。短甲、冑。城之越学習館。
殿塚古墳の陪塚であるワキ塚古墳からの出土品。
 
このあと、南西近くの近鉄美旗駅前にある名張市の馬塚古墳へ向かった。

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