菊川式土器。古墳時代初期。名張市郷土資料館。名張市安部田。
2017年5月19日(金)。
9時頃に資料館前の駐車場に車を停め、9時30分の開館を待った。国道165号線に南接した場所にあるが、看板が分かりづらく捜してしまった。
2014年3月に閉校した旧錦生小学校の建物を活用した郷土資料館で、2015年4月に開館した。
埋蔵文化財センターなども併設されており、施設への出勤風景を眺めていると、若い人も多かった
常設展では縄文、弥生時代、古墳時代の出土品が多く展示されているが、企画展では名張藤堂家の幕末の動向が紹介されていて興味深かった。
古墳時代初期の住居跡から出土した土器は静岡県の菊川式土器で、東海地方との交流を示す証しである。弥生時代までは伊賀は伊勢湾地方との関係が深く、中期の終わりから大和の文化圏に組み込まれた。
家形埴輪。美旗古墳群・玉塚古墳出土。
名張北部の美旗古墳群は5世代にわたり前方後円墳を築いた伊賀の王墓群と考えられている。
金銀象嵌直刀。琴平山古墳出土。
琴平山古墳は、名張市赤目地区檀の丘陵尾根上に所在する、全長約70m、前方部長約34m、後円部径約36mの前方後円墳である。6世紀初頭から前半の築造とされ、被葬者は名張郡の首長層とみられる。
後円部の横穴式石室は、長方形の石室に長い羨道が付くという古い形と考えられる。このほかにも前方部やくびれ部の現地表面には露岩がみられることから、他にも石室が存在する可能性がある。
南側のくびれ部付近からは、多量の須恵器が層を成して出土した。これらは、埋葬後に行われた墓前祭祀の跡の可能性が高い。須恵器の時期は6世紀初頭から前半に比定される。
琴平山古墳の概要。
本古墳は、名張盆地内で最初に造られた前方後円墳であり、最大規模でもある。古式の横穴式石室を埋葬主体とし、地域の首長層像を解明するうえで重要な古墳である。
金銀象嵌直刀。上部。琴平山古墳出土。
衝角付竪矧鋲留冑。琴平山古墳出土。
琴平山古墳の石室出土品、鉄製の冑、剣、直刀の武器セットについては、当初、古墳の6世紀初頭から前半のもので、当時としては最新鋭の武器を持った被葬者、つまり大王直属の将軍の副葬品を想定していたが、その後の調査から6世紀後半のものと推定された。
武器セットは、大きな古墳を築いた名張郡首長の副葬品ではなく、40〜50年後の二世代後の人物の副葬品であり、また、古墳自体も長い間利用されてきたことが分かった。琴平山以後の名張郡の首長権は、地域間を移動しており、世襲ではなかったとみられる。
琴平山古墳周辺の遺跡分布図。
琴平山古墳の被葬者に関する考察断片。
近世。藤堂藩の名張統治。
名張藤堂家は名張8ヶ村の行政権のみを有し、軍事権・警察権は伊賀上野城代が有していた。
近世。名張統治における無足人制度の有益性。
このあと、名張市街地にある名張藤堂家邸跡へ向かった。