粥見井尻遺跡。松阪市飯南町粥見。
2017年5月19日(金)。
美杉町多気の霧山城跡を見学し、南東方向にある、縄文時代の日本最古の土偶が出土した松阪市飯南町の粥見井尻遺跡へ向かった。道の駅茶倉に寄ったが観光情報はなかった。
国道166号線の粥見井尻交差点から国道368号線へ入ったが、高架橋の下にあるという粥見井尻遺跡公園への案内標識が分からず、しばらく捜した。結局、交差点から400mほど南の地点から西の小道へ入ることが分かり、水田や畑の間の小道を高架橋方面へ向かうと、公園用の広い駐車場が用意されていた。
茶畑の横を歩くと、高架橋の下に遺跡公園が見えてきた。
粥見井尻遺跡。説明板。
粥見井尻遺跡。
粥見井尻遺跡は、櫛田川が大きく蛇行する左岸の段丘上にある。1997年、国道368号線のバイパス工事に伴い発掘調査が行われ、縄文時代草創期(約12000~11000年前)の竪穴住居跡4棟と、日本最古の土偶2点が発見された。この外に、矢柄研磨器・隆線文土器など、縄文草創期を特徴づける遺物や、土器片・石鏃などが1万点を超す遺物が出土した。
そこで、遺跡を保存するため、道路建設は土盛りから遺跡の部分のみをまたぐ高架方式に変更された。現在、遺跡1700平方メートルは竪穴住居も復元されて高架下の史跡公園として公開されている。
粥見井尻遺跡。
見つかった竪穴住居跡はどれも直径5m前後のほぼ円形プランで、中央部が浅く掘り窪められ、垂木を立て掛けた、丸いテントのような形状をしていた。
住居跡は、2~3回ほど建て替えられた痕跡があり、一度には1棟か2棟が存在し、数人から10数人で住んでいたようである。
当時ここに住んでいた縄文人は獲物を追って移り住む生活ではなく、環境の良いこの地で定住を始めたとみられる。
出土した日本最古級の土偶。レプリカ。
竪穴式住居跡から2点の土偶が発見された。 1点は女性の上半身(頭部、胸、腹部)を形どったもので、全長6.8cm、幅4.2cm、厚さ2.6cmの小型の土偶である。もう1点は頭部のみで、頭部は前述の土偶と同様の形状をしている。
粘土で胴体と両手を作って頭と乳房を貼りつけた素焼きの人形だが、目や鼻は省略されている。
これらの土偶は三重県の有形文化財に指定され、三重県埋蔵文化財センターに所蔵されている。
土偶の四面図。
出土した土偶、石器、土器の説明。
出土した石器・土器。レプリカ。
石器の説明図。
土器の説明図。
このあと、国道368号線を東に進み、多気町の勢和郷土資料館と五箇篠山城跡へ向かった。