Quantcast
Channel: いちご畑よ永遠に
Viewing all articles
Browse latest Browse all 1170

三重県多気町 丹生神社 丹生大師

$
0
0
イメージ 1
丹生(にう)大師。姿見の池。多気町丹生。
2017519日(金)。
五箇篠山城跡を見学し、丹生水銀鉱山の繁栄をしのばせる丹生大師へ向かった。門前の「ふれあいの館」に駐車し、道路を渡ると、目の前に大きな池が現れた。
 
これは、姿見の池といい、弘法大師が自画像を自ら刻むために姿を映したとされる池という。
右側の参道を進むと丹生神社、左の伽藍群は丹生大師と通称される神宮寺になる。
 
イメージ 2
丹生神社参道。
 
イメージ 3
丹生神社。説明板。
 
イメージ 4
丹生神社。社殿。修理工事中。
埴山姫命を祭神とする。延喜式神名帳、飯高郡九座に列せられた由緒ある神社である。丹生村は、明治10年に多気郡に組み換えられるまで飯高郡に属していた。
 
当社の創始は、社伝によると継体天皇16522)年という。往古より当地は水銀の産地として名高く、この地の守護神として奉斎されていた。
聖武天皇が東大寺大仏殿の建立のさい、水銀の産出をこの地の神に祈ると忽ち水銀が湧出したので、丹生明神と名づけた。又、嵯峨天皇が降雨を祈ったら霧雨があり、晴れを祈ったら、晴れたという故事により、丹生大明神は祈雨、祈晴の神ともいう。
 
中世、伊勢の国司北畠氏が毎年参拝し、造営等の奉仕をした。その後、松坂城主・古田大膳より慶長16年(1611年)高30石を寄進するとの寄付状が交付された。同年、伊勢外宮権祢宜檜垣筑後が、当社神主をかね以後檜垣が神主となった。(現在とは異なる)。
元和5年(1619年)紀州藩・徳川頼惟宣から社領30石を認められた。以後の藩主は自ら参向して国家安穏・五穀豊穣を願い金銀等を寄進した。安永5年(1776年)紀州藩寺社奉行の直支配になり境内は御免許地となった。また延宝5年(1677年)より伊勢神宮の遷宮の翌年その古殿材を拝領して造営した時代もあった。
明和年間(176472)以後今日に至るまで、社殿造営には神宮式年遷宮の際に拝領した古殿の用材を利用するのを慣例とする。
 
境内社の一つである式内社の丹生中神社の祭神は金山彦命・金山姫命という男女一組の鉱山神である。この祭祀は水銀取に直接結びつくものとして重要な意味を持っている。
 
なお近接する神宮寺とともに水銀に関する遺物が保存され、両者は水銀を通じて深い関係にあることが推察できる。
 
イメージ 5
神宮寺。大師堂。
真言宗。女人高野山丹生山神宮寺成就院と号する。通称丹生大師。丹生神社の神宮寺である。高野山が女人禁制だったのに対し、女性も参詣ができたので「女人高野」とも呼ばれる。
 
宝亀5774)年、弘法大師の師である勤操大徳が開山したと伝える。弘仁4年(813年)弘法大師が伊勢神宮参拝の途中、この地を訪れた際に来山し、自分の師の開創した寺である事を知り、「我は高野の聖地に、真言密教の根本道場を創立する誓願を建てているが、まずこの地に諸堂を建立し、庶民の苦悩を救わん」と言われ、弘仁6年(815年)に至って七堂伽藍を建立完備したとする。
 
大師堂(御影堂)は天正18年(1590)に良心によって建立され、貞享年間(168488)頃に文堯によって再建された。構造形式は桁行三間、梁間三間、宝形造り、桟瓦葺き、南面建ちで正面に一間向拝を付けている。大師堂は霊廟建築としての伝統に忠実であり、近世初期の遺構として、当寺堂宇群を代表する枢要な存在である。また、当寺背後の小丘頂上に位置していて、宗廟に相応しく環境は一段と静寂且つ清浄の雰囲気を醸し出している。
 
イメージ 6
神宮寺の建築群。
丹生の地は、古くから「丹生水銀」の産出地として知られ、その頃日本で使われていた水銀のほとんどが、丹生で採掘されたものと考えられている。
 
奈良東大寺の大仏にも、丹生水銀が使われ、中世には全国唯一の水銀座(今でいうところの同業者組合)が存在し、全国から商人や鉱夫が集まり、「丹生千軒」と呼ばれるほどの繁栄をみせたと伝えられている。
近世には「丹生の在家一千軒計り有りて民屋富みたる景気なり(勢陽雑記)」とある程になった。
近世の丹生は、伊勢商人発祥の地として、また「丹生のお大師さん」こと丹生山神宮寺の門前町、宿場町として栄えた。
街は、神宮寺山門の正面に広がり、今でも格子戸や土塀など妻入りの街並みや数多くの由緒ある寺院が残るなど、当時の繁栄を偲ばせている。
 
観光案内板を見ると、丹生大師湯は廃業したようで残念だった。
 
水銀鉱山跡の日ノ谷坑は見学可能なようだったが、場所は不明で、17時も過ぎていたので、滝原宮近くの道の駅へ向かった。途中、水銀鉱の案内標識図をみかけたが、時間も遅いのであきらめた。
阿曽温泉に入浴後、滝原宮手前の道の駅に着いたが、車中泊向きではなかったので、大台町役場横に道の駅に向かった。

Viewing all articles
Browse latest Browse all 1170

Trending Articles