2017年5月20日(土)。
頭之宮四方神社を参拝して、太平洋に臨む南伊勢町の愛洲(あいす)の館・五カ所城跡を目指して、国道260号線を進むと、古和浦に出た。ニュースでよく見かける場所なので、停車した。
愛洲の館は、五ヶ所城を居城とした中世の豪族・愛洲氏と、その一族で、剣道陰流の祖と仰がれる愛洲移香斎久忠に関する古文書等を展示している。
愛洲移香斎(1538~1452年)は、五カ所浦出身の剣術家で陰流の開祖。水軍の将として九州,関東,さらに明国まで渡航。36歳のころ,日向国鵜戸の霊窟に籠り,霊夢を得たとされる。これより一流を開いて陰の流と称した。陰流の系統は上泉信綱の新陰流・柳生新陰流・タイ拾流などに継がれ,多くの有力な流派を生んで隆盛した。
11時前に入館し、女性職員の案内で展示を見た。館内には立派な剣道場も併設している。
五カ所城址周辺の地図を貰い、駐車場との境にある入口から階段を登っていった。Ⅰ郭(本丸)までの比高は30mである。
現状では30m×40mの園地になっており、そのまま東の遊歩道に出ることもできたが、北のⅠ(主)郭が見えているので、北の端の土手に出た。
城主は愛洲氏といわれ、一之瀬城(度会町)を拠点としていたが、15世紀に五カ所浦を本拠にしたという。
北畠氏の配下となり、勢力を振るったが、織田信長の北畠氏攻略後、北畠(織田)信雄に攻められ、天正4(1576)年に滅亡し、五カ所城は廃城になったという。
南端に居館の跡と、その南東に「愛洲一族の塔頭」という愛洲一族の墓があるというので、南に下った。しかし、一本、東の大きな道を下ったため、役場の庁舎あたりで迷ってしまい、用事で来ていた人を通じて、近所の人に塔頭の場所を教えてもらった。
居館跡へ向かうため、本丸入口から南に下ってくる登城道を北へ登る。
12時30分頃になり、賢島へ向かった。