田丸城三の丸奥書院。玉城町田丸。
2017年5月21日(日)。
玉城町郷土資料館(村山龍平記念館)入館前に、資料館北側に再移築された三の丸奥書院を見学。
田丸城三の丸奥書院。説明板。
三の丸奥書院は1677年(延宝5年)、久野家3代当主・久野宗俊の時代に、三の丸の現在の田丸中学校玄関前庭付近に造営された書院で、富士見門とともに貴重な田丸城の建築遺構である。
久野家初代の久野宗成は遠州久野の城主で、徳川家康により紀州藩に随伴、1万石をもって田丸城主となった。久野家は紀州藩の家老職にあったので、田丸城には城代が置かれ、一代のうちで数度入部するにすぎなかった。
この書院はふだんは城にいない城主が入城した際の居間や寝所として使用された。
明治維新後、民間に払い下げられ、明和町竹川にある農家が住居として使用していたが、1991年に再移築された。建物は典型的な書院造りである。
村山家と田丸藩。玉城町郷土資料館(村山龍平記念館)。
資料館は朝日新聞創設者村山龍平の遺族の寄付により、昭和58年4月に開館した。1階に図書館など、2階に郷土資料館がある。
村山龍平は、嘉永3年(1850年)伊勢国田丸に生まれ、紀州藩旧田丸領に仕えた旧士族。明治維新後、一家を挙げて大阪に移住。明治12(1879)年、朝日新聞を創始した。
久野家時代は紀州藩田丸領であり、田丸藩という呼称は間違っている。紀州藩付3家老のうち、安藤家(紀伊田辺藩)、水野家(紀伊新宮藩)は明治維新後に立藩したが、田丸藩は成立しなかった。
朝日新聞。創刊号。大正8年の復刻版。
朝日新聞。創刊号。大正8年の復刻版。説明。
神戸の香雪美術館には30年ほど前に訪れた。
茶事をたしなむ村山龍平。
離宮院跡。国史跡。伊勢市小俣町。
JR参宮線「宮川駅」の駅すぐ南前にある。
斎王宮の離宮跡で、かつて斎王が三節祭(9月の神嘗祭と6月、12月の月次祭に奉仕するために斎宮(現在の明和町)から伊勢神宮に向かう際、潔斎のために宿泊した離宮であった。
もとは沼木郷高川原(現伊勢市)にあったが、797年(延暦16)に現在地に移された。利便性から824年(天長1)にここが一時的に斎宮となった。
839年(承和6)に火災により建物100棟ほどが焼失し、斎宮は元の場所に戻ったが、離宮は再建された。その後は斎宮の廃絶とともに離宮院も同じ運命をたどった。
離宮院には、神宮の政庁や駅家が存在し、この一帯は古代の要地であった。
離宮院跡。配置図。
離宮院跡。説明板。
離宮院跡。標柱。
1924年に国の史跡に指定された。廃絶した離宮院の跡地は現在もほとんどが森林のまま残されており、敷地内には土塁の一部が残ってその標柱も立ち、往時をわずかに偲ばせる。現在は芝生広場などが広がる離宮院公園として整備されている。
離宮院跡。土塁跡。
このあと、北畠氏の拠点であった大河内城跡へ向かった。