榊原温泉・湯の瀬。日帰り温泉。津市榊原町。
2017年5月22日(月)。
入浴料550円。榊原温泉は、清少納言が「枕草子」で「湯はななくりの湯、有馬の湯、玉造の湯」と書いており、当時から「ななくりの湯」として古来から有名であった。
アルカリ性の強い、美人の湯で、下呂温泉なみ。
長野氏城跡見学後、国道163号線を東進、その後南西して、「湯の瀬」へ向かったが、温泉病院を過ぎ、次ぎのカーブで左折すべきを、そのまま道なりに進んで迷った。ナビで見ていても分からなかった。左側の丘の中腹にあり、広い駐車場から3分ほど登る。旅館の日帰り温泉は高いので、手軽なのはここしかない。
明合古墳。国史跡。津市安濃町田端上野。
明合(あけあい)古墳は、安濃川中流、経ヶ峰東麓から延びる低丘陵の東端に位置する。
1辺約60m、造り出しを含めた全長は81m、高さ約10mの大型方墳である。
方墳の規模としては、全国で第10位。
古墳時代中期前半(5世紀前半)の築造とされ、安濃川流域最大の首長墳である。
明合古墳。航空写真。
明合古墳。史跡範囲図。
明合古墳群は、昭和24年に、津高等学校地歴部の古墳見学の際に発見され、鈴木敏雄、山田勘三、村治圓次郎、竹島基三や、梅原末治、斎藤忠氏らの考古学者の調査を経て国指定史跡に指定された。
この古墳群は、安濃川右岸の経ケ峰から派生する標高40mの台地上に位置している。
形態は、主墳が二段築成の方墳で南北の両辺に造り出しが付き、その特異な形状から「双方中方墳ともよばれた。規模は、一辺約60m、造り出しを含めた全長は81m、高さ約10mを測る。
外部施設として墳頂部及び一段目テラスに円筒埴輪列、墳丘斜面には葺石が確認され、周囲には濠が巡っている。
遺物は、円筒埴輪・盾形埴輪・蓋形埴輪・家形埴輪・須恵器器台等が採集されている。また、古墳の墳丘の体積は、盛土とすれば約14000㎥と推定されている。
さらに、周囲には計画的に配置された方形の陪塚5基がある。
1号陪塚は、ほとんど壊れているが、発見当初の規模は、一辺11.7m、高さ1.8mを測り、円筒埴輪や葺石が認められ、現在は、一辺8.0m、高さ0.7mの規模となっている。
2号陪塚は、「小塚」と呼ばれ、現存している陪塚の中では最大で一辺 22.0m、高さ2.0mを測り、葺石・円筒埴輪列が確認され、須恵器片が採集されている。
3号陪塚は、痕跡のみで墳丘規模は不明であるが、発見当初は、1.0m程度封土が残存していたようで、円筒埴輪、蓋形埴輪片が採集されている。
4号陪塚は、周辺を開墾されているため、墳丘の形状は不明瞭であるが、一辺16.0m、高さ1.5mを測る。
5号陪塚も開墾などで墳丘の形状は不明瞭であるが、一辺15.1m、高さ0.7mを測り、埴輪片等が採集されている。
なお、主墳及び陪塚の内部主体・副葬品などは不明である。明合古墳群の形成された時期は、採集されている遺物から5世紀前半~6世紀初めと推定される。
明合古墳群の主墳は、5世紀前半の安濃川流域最大の首長墳で、以後、三重県下でこのような規模・形態の古墳が築造されていないことを考えれば、三重県の古墳文化を考える上で極めて注目される古墳群である。
明合古墳。南東部。
明合古墳。南東部中央にある登り道。
明合古墳。墳頂部。経ケ峰方向。
明合古墳。周濠。
このあと、亀山市の峯城跡へ向かった。