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台湾 九族文化村 布農族(プヌン族) チウシンロン社(中心崙社)マハサン・タハイの住居 利稲社(リト社)の住居  

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布農族(プヌン族)チウシンロン社
(中心崙社)マハサン・タハイの住居。九族文化村。日月潭。
2017106日(金)。
旧高雄州旗山郡邦腹渓の右岸、標高7501140mの地に散在し、戸数28戸、人口276人であり、1921年に移住してきた。現在は高雄市桃源区宝山里である。
 
半地下式で室内は約35㎝掘り下げられスレート敷である。スレート葺屋根で平入り、入口は中央に設けられている。
壁は四周とも石壁で壁厚は約55㎝である。
 
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チウシンロン社
(中心崙社)マハサン・タハイの住居。案内。
1921年にマハサン・タハイにより建設されたもので、1938年に千々岩助太郎が調査している。
 
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チウシンロン社
(中心崙社)マハサン・タハイの住居。説明板。
両側面の石壁の上部は、元は板壁であった。
 
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チウシンロン社
(中心崙社)マハサン・タハイの住居。説明板。平面図。
入口の両側に寝台と炉がある。奥の穀倉の右側に戸主夫婦の寝台がある。

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チウシンロン社
(中心崙社)マハサン・タハイの住居。室内。

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チウシンロン社
(中心崙社)マハサン・タハイの住居。室内。


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チウシンロン社
マハサン・タハイの住居。正面。(千々岩1960)。
 
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チウシンロン社
マハサン・タハイの住居。室内。(千々岩1960)。
 
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チウシンロン社
マハサン・タハイの住居。平面図。(千々岩1960)。
 
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チウシンロン社
マハサン・タハイの住居。断面図。(千々岩1960)。
 
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布農族(プヌン族)利稲社(リト社)の住居。
利稲社(リト社)は旧台東庁関山郡のブルブル渓上流、マスボル渓左岸の河岸段丘上にあり、標高1078mの地点に所在した。当時の戸数21戸、人口246人。原住地は花蓮港庁玉里郡のターフン社(大分社)で1850年ごろ移住してきた。
 
利稲社は現在の台東県海端鄉利稲部落である。台東県池上から高雄市桃源区に至る南部横貫公路の途中に所在する。
海端郷は台東県北西端に位置し、北は花蓮県卓渓郷と、東は池上郷、関山鎮と、西は高雄市桃源区と、南は延平郷とそれぞれ接し、県内最大の面積を有している。中央山脈に位置しているため高山深谷が多く、地勢は極めて起伏に富んでいる。郷内には新武呂渓、龍泉渓、加拿渓、崁頂渓等が流れている。住民は原住民であるブヌン族が多い。
 
海端郷は古くはブヌン族の活動範囲であり、「海端」の地名もブヌン語で「三面を山に囲まれた土地」を表す「ハイトトワン」に由来する。日本統治時代には台東庁関山郡の蕃地とされた。戦後初期は台東県里壟鎮(現在の関山鎮)の一部とされたが、1946年に「海端郷」が独立して設置され現在に至っている。
 
建物の屋根は檜皮葺で、丸太や石で押さえている。平入りで入口はやや右側にある。前面壁は板壁で、側面壁は石積の腰壁の上に板壁を造り、背面壁は石積である。
 
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布農族(プヌン族)利稲社(リト社)住居。
この建物は1850年ごろの建築である。
 
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利稲社(リト社)住居。正面。(千々岩
1960)。
 
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利稲社(リト社)住居。側面。(千々岩
1960)。
 
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利稲社(リト社)住居。室内。(千々岩
1960)。
 
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利稲社(リト社)住居。平面図。(千々岩
1960)。
 
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利稲社(リト社)住居。断面図。(千々岩
1960)。

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