ローズ・ベリー・アラスカ・アート・ギャラリー。2013年2月19日(火)。フェアバンクス。アラスカ大学北方博物館の2階にある。古代から現代まで2000年にわたるアラスカ先住民の工芸品、古代エスキモーの彫刻、アラスカの現代を代表するアーティストの油絵などの芸術作品を展示している。
Pottery Paddles。ポットなどの陶器に型押しして文様を付けるヘラ。イヌピアック・エスキモー。AD500年頃。同心円、格子文、などの幾何学文様が見られる。材質は牙、骨製。古代の墓から発見されている。
Uluウルおよびウルの柄。ウルはエスキモーの伝統的ナイフ。動物の肉の解体などに使用される。主に女性用。翡翠、牙製。
仮面、ゴーグル。仮面はイヌピアック・エスキモーのもの。ポイント・ホープ。木製、鯨骨製。
ゴーグルはシカの角、牙、鯨骨製。
ベーリング海峡の古代エスキモー文化。
ゴーグルはシカの角、牙、鯨骨製。
ベーリング海峡の古代エスキモー文化。
お守り。石、牙製。
牙製の銛先。プヌク島、セント・ローレンス島。
銛や漁労用具。
バッグ。鮭皮、カリブー皮、ムース皮。フォート・ユーコンのアサバスカン・インディアン。1979年制作。
アラスカ大学北方博物館。西からの外観。アラスカ大学の敷地は広大で、巡回バスも走っている。国際北極圏研究所まで徒歩10分ほど。積雪はさほどでもないので歩きやすい。
国際北極圏研究所。インターナショナル・アークティック・リサーチ・センター。1997年 橋本龍太郎首相とゴア副大統領(いずれも当時)は協力して気候変動問題に取り組むことで合意。地球温暖化現象の解明を目的に、活動拠点を氷河の減少など温暖化の影響が現れやすいアラスカに選んだ。
建設費の6割は日本から出資されている。
建設費の6割は日本から出資されている。
国際北極圏研究所。オーロラ研究で知られる赤祖父俊一・アラスカ大名誉教授の功績をたたえ、アカソフビル」と命名されている。
SHUN-ICHI AKASOFU BUILDING。赤祖父俊一・アラスカ大名誉教授は国際北極圏研究センターの初代所長を務めた。施設などに個人名を付けることが多い米国だが 日本人の名前が付けられるのは珍しいという。
99年8月に開所し 現在 日本や韓国 ロシアなど数十人が大気や海洋などの研究に取り組んでいる。 赤祖父氏は長野県出身。東北大大学院生だった1958年 アラスカ大に留学し オーロラが発生する仕組みを明らかにした。同大地球物理研究所長を経て7年余り 同センター所長を務めた。
自伝を読むと、オーロラに関して様々な説が立てられ、アメリカ・ソ連。北欧の学者が議論を応酬し、赤祖父教授の説が受け入れられていった経過が語られ、アメリカ政府からの研究費分捕り合戦の模様も述べられている。
99年8月に開所し 現在 日本や韓国 ロシアなど数十人が大気や海洋などの研究に取り組んでいる。 赤祖父氏は長野県出身。東北大大学院生だった1958年 アラスカ大に留学し オーロラが発生する仕組みを明らかにした。同大地球物理研究所長を経て7年余り 同センター所長を務めた。
自伝を読むと、オーロラに関して様々な説が立てられ、アメリカ・ソ連。北欧の学者が議論を応酬し、赤祖父教授の説が受け入れられていった経過が語られ、アメリカ政府からの研究費分捕り合戦の模様も述べられている。
国際北極圏研究所。玄関ホール。ここには誰でも立入可能。テーブルとイスがあり、しばらく寛いだ。
国際北極圏研究所。玄関横の通路。左にライブラリーがあるが、一般人は入れない。部屋の前のテーブルに研究者の論文の抜き刷りが置いてあり、いくつか頂いてきた。森林火災に関する論文が多かった。
国際北極圏研究所。玄関横の通路。各国の国旗が掲げられている。赤祖父氏もたまに顔を見せるという記事もあったが、出会うことはなかった。
30分ほど滞在して、南のメインロードを東の学生会館まで20分ほど歩き、バス停で待つと、ブルーラインの市バスが来て、フレッド・マイヤー・ウエストまで乗車。
30分ほど滞在して、南のメインロードを東の学生会館まで20分ほど歩き、バス停で待つと、ブルーラインの市バスが来て、フレッド・マイヤー・ウエストまで乗車。
フレッド・マイヤー・ウエスト。規模の大きいショッピングセンターで、スノーブーツや土産品の品ぞろえも豊富。勿論、スモーク・サーモン類の種類も多い。
夕方7時のバスでフェアバンクス空港まで向かった。
2月20日(水)午前1時30分に出発し、シアトル経由で2月21日(木)16時35分成田空港に到着。
夕方7時のバスでフェアバンクス空港まで向かった。
2月20日(水)午前1時30分に出発し、シアトル経由で2月21日(木)16時35分成田空港に到着。
東京スカイツリーから眺める富士山。2月22日(金)。せっかくなので、1泊して東京スカイツリーを見学した。2月の平日なので、混んでいなかった。天候も良好で、富士山も見ることができた。
その日の夜行バスで名古屋の自宅へ向かった。
その日の夜行バスで名古屋の自宅へ向かった。