車埕駅周辺案内図。 (拡大可)
2017年10月7日(土)。
車埕駅は日本統治時代に建設された集集線の終着駅である。集集線は台湾中部の彰化県にある二水駅から南投県の「車埕駅」まで東西に伸びている全線非電化の単線、全長29.7㎞の台湾鉄道の支線である。
線路沿いの風景や駅舎はノスタルジックな雰囲気を味わえる観光路線として人気がある。
日月潭の水社バス停から8時10分のバスに乗り、集集線の終点駅車埕駅へ向かった。本日は集集線見学後、乗り継ぎ駅の二水駅から嘉義駅に15時過ぎに着いて、阿里山鉄道乗車券出札所が開いている時間帯に10月9日の乗車券を購入する予定。嘉義に6連泊し、日帰りで各地へ回る。
前夜、時刻表をチェックすると、時間に余裕がある。歩き方を見て記事が少ないので迷っていた車埕も行くことにした。
バスで8時40分ごろ車埕に着く。見学後、車埕駅10時20分発・水里駅10時25分着・11時45分発・集集駅11時58分着・13時18分発、二水駅13時50分着、14時21分発嘉義駅15時09分着という計画を立て、その通り実行した。
車埕のバス停に着いたが、小学校があるだけで、方向が分からない。右に川があるバス通りの先にはダムが見える。近くに案内図があったので、バス通りを先に進むことにした。
車埕の案内図。パンフレットより。 (拡大可)
車埕駅を発車する列車。9時00分発の列車。
バス通りは低くて左上の駅施設は見えなかった。福徳宮を過ぎると、鉄製の展望台があり、カメラを提げた男性が降りて行くので、代わりに昇ると列車がちょうど発車していくところだった。
車埕駅。展望台から眺めるプラットホームと駅舎。
車埕駅。展望台から眺めるプラットホーム。その奥上方に明潭発電所。右に明潭ダム堰堤と水里渓。
展望台を下って、バス通りを先に進む。
車埕の空撮図。右やや下に車埕駅構内。中央に貯木池。上部に明潭ダム。
パンフレットより。
車道から張り出した展望所から、明潭ダム堰堤と水里渓。
このあたりで、観光バスが停車し、降りてきた観光客が駅施設の中へ入っていったので、続いて入っていった。
車埕駅。左側を振り返ると、左下にバス通り、中央にプラットホームの終端、右奥に駅舎が見える。
プラットホームの先の線路には、すぐにトンネルがある。
車埕駅。10EW11号水槽車。石炭補充台。給水所。奥に商店街と木業展示館。
10EW11号水槽車。説明。1931年に日本で製造。SLの後ろに連結されていた水槽車を改造したものという。1995年まで使用されていた。
10C1216木造貨車。車埕駅。車両展示館。1920年日本で製造。1992年引退。
駅構内ダム側に展示館がある。
10C1216木造貨車。説明。
10R104冷蔵車。1928年日本で製造。
10R104冷蔵車。説明。
日本統治時代、冷凍保存した肉・鮮魚。水産品を運搬したという。白色塗装で鋼鉄車。1984年引退。
木材運搬時代の車埕駅。模型。車両展示館。当時は左にある貯木池方向まで引き込み線が引かれていた。
このあと、遊客中心で名水を飲んだり、貯木池、木業展示館を見学した。
車埕の沿革。車埕駅。集集線。木業展示館。
鉄道文化の時代。ダム文化の時代。木材産業の時代。
1912年、埔里製糖会社の設立から始まる。
1916年、埔里・車埕間に軽便筒道敷設。
1919年、門牌潭(日月潭第一発電所、現在の大観発電廠)水力発電所工事着工。資材運搬のため二水・車埕間のトロッコ軌道の幅を広げて集集線が建設された。
日月潭水力発電水路断面図。霧社から日月潭・車埕に至る現在の水力発電水路。パンフレットより。
日月潭は標高748m、水里渓中流の標高約400mの落差約300mを利用して発電している。
1922年、二水・車埕間開通。
1934年、門牌潭発電所完成にともない、貨物運輸専用軽便鉄道の門牌潭~車埕間廃止。
戦後、鉄道の便利さから、車埕駅周辺は木材の加工場として栄えた。
霧社眉渓・埔里・車埕の軽便鉄道から始まる鉄道の沿革。木業展示館。
軽便鉄道区間の巡視用トロッコ。
軽便鉄道のSL。
集集線のSL。現在の彩色列車。
25C10056貨車。木業展示館。
25C10056貨車。説明。1940年、日本で製造。軍馬の輸送に使用。戦後、客車に改造、1980年代は荷物車として使用。1997年引退。
横には、1958年日本で製造された平型貨車の説明。