2017年10月7日(土)。
車埕駅のすぐ北西にある貯木池は、木から樹脂を取り除いたり、一時保存のために作られた。
貯木池には天車(クレーン}とよばれる丸太を吊り上げる装置が今も残っている。車埕の天車は当時貴重であったヒノキで作られていて、台湾でも限られた場所でしか見る事ができない、車埕のシンボルとなっている。
1958年、振昌公司は丹大林区の伐採権を取得して、車埕に丹大事業部を設立し、巨額の投資をして、丹大林道を切り開き、木材を車埕まで運んで加工した。
集集線の終着駅がある車埕は、木材加工に便利であることから、この地に木材加工工場が建設され、1000人近くの職員が働いた。
加工された材木は海外へ輸出するため、車埕から貨物列車で輸送された。1960年代および70年代に、車埕は林業の最盛期を迎えたが、1986年に政府により伐採が禁止されたため、同年12月に操業を停止した。
車埕木業展示館は車埕駅北西に隣接している。
政府機関の日月潭国家風景管理処が、林業の歴史や発展経緯を紹介するために運営しており、実物模型や木材加工場などを再現し、各種の展示やさまざまな木工体験ができるほか、木工品の土産も販売されている。
建物は当時を復元したものだが、建屋構造を見せるため透視性を考えて建設されている。
10時20分発の発車時刻まで30分近くあったので、駅や老街方向へ歩いた。
車埕駅は、以前は外車埕駅とよばれたが、1961年に車埕駅と改められた。
駅舎はもともと鉄筋コンクリート造であったが、1999年の921大震災で他の集集線駅と同じく壊滅的被害を受けた。
日月潭国家風景管理処は駅舎の復興にあたり、外観に木材を多用して再建した。その素朴で優雅なたたずまいから、「台湾で最も美しい駅」と言われている。
曲りくねった老街の坂を少し登ったのち、駅へ引き返した。
時間があったので、もう一度戻った。
時刻表では10時10分着だが、10時17分ごろ到着。乗客は降りはじめる。
次の水里駅で下車。