Quantcast
Channel: いちご畑よ永遠に
Viewing all articles
Browse latest Browse all 1170

ハノイ 水上人形劇 ベトナム民族学博物館 ジャライ族 母系社会 ハノイ国立博物館

$
0
0

 水上人形劇 

 水上人形劇 
イメージ 1
ベトナム民族学博物館。2013年1月20日(日)。15時頃、歴史博物館の見学を終え、タクシーでハノイ市内西部にある民族学博物館へ移動、15時30分頃到着。日曜日のせいか見学者は多い。しかも子供が多い。日本語の無料パンフレットを入手。

イメージ 2
織機。

イメージ 3
魚篭。1982年から97年にかけ、紅河デルタ地帯で一度に800個の漁労用の魚篭を積んで売り歩いた自転車。

イメージ 4
魚篭を用いたベトナムの漁労風景。

イメージ 5
通過儀礼のさいシャーマンが使用する仮面。東北部ラオカイ省。ザオ族(ヤオ族)は中国湖南省から雲南省、東南アジア北部の主に山地に広く住む少数民族である。道教を信仰する。

イメージ 6
樹皮の服。北中部クアンチ省。

イメージ 7
Jarai tomb-abandoned ceremony。1998年。ザライ省。ジャライ族は、ベトナムの中部高原地方に居住する少数民族である。紀元前に中部高原地方へ移住してきたと言われるが、詳細は不明な点が多い。中部高原地方のザライ省、コントム省を中心に居住しており。人口約24万人とされる。中部高原においては最大の人口を誇る少数民族である。言語はジャライ語を使用。チャム語に近い言語で、オーストロネシア語系マレー・ポリネシア語族。本来はアニミズムを信仰しており、母系社会の伝統がある。
1950年代から60年代にかけ、山岳民独立運動を興した。
ジャライ族の葬式では最終段階の霊屋の廃棄儀式が重要である。呪文を唱えて、故人の魂を西方の先祖が住む死者の村へ送り届けることにより、故人と現世が分かれることになる。葬式はかつて7~5日間続いたが、今は短くなっている。
霊屋は葬式の間に建設され、彫刻・絵画などで装飾される。葬式は銅鑼の音に合わせた舞踏と歌唱を伴う。葬式が終わると、霊屋は廃棄され、故人とその家族の関連は断ち切られる。
葬式には水牛や牛を犠牲として供えるなど莫大な費用を必要とするので霊屋の廃棄儀式は最初の葬式から数年後となる。廃棄儀式が済めば、未亡人は故人と別れて、再婚できるようになる。
踊る精霊の衣装は南九州に残る精霊の風俗と似ている。オーストロネシア語族が南縄文人として日本列島へ流入したと思われる名残り。

イメージ 8
ジャライ族の楽器。10弦のリュートとガラガラ。リュートには竹筒が用いられ、その端近くには共鳴具の役割を果たすヒョウタンが付いている。指先で弦をつまんで弾く。娘たちの気を惹こうと、若者たちが弾き鳴らす光景がよく見られる。

イメージ 9
チャム族の牛引き荷車。チャム族は中部ベトナムに2世紀から17世紀まで独立した海洋国家である林邑国及び占城国(チャンパ王国)を持っていた。
チャム族はマレー系、インドネシア系の民族である。同じマレー系の民族の中では、メラネシア人やミナンカバウ人が母系制度を採ることで知られるが、チャム族及びチャム系山岳民族(ジャライ族、エデ族、ラグライ族、チュルー族)もまた母系制度を採る。

時間がないので、駆け足で展示室の見学を終え、展示棟の裏にある野外展示場へ向かう。
池では水上人形劇が行われていた。

イメージ 10
水上人形劇のバックステージ。人形使いは泥水に浸かっており、病気にならないか心配した。

イメージ 11
エデ族のロングハウス。中部高原ダクラク省から移築された長さ42mの家。家には一つの母系大家族が暮らしている。祖母一人から生まれた娘、孫娘たちの家族がすべて集まっている。
エデ族もジャライ族と同じマレー・ポリネシア語族である。
エデ族の家族で女性は家長の 役目を果たす。エデ族の社会で決定権は女性にあり、子供は父ではなく、母の名字を付けられます。
「婚姻は女性が決めます。誰かを好きになり、結婚したかったら、両親に告げます。その後、夫は妻方の住居に入ります。産まれた子供は妻の名字を付けられるのです。妻が亡くなった場合、妻方の家族は彼と結婚する女性を探します。」

「決定権は女性にありますが、男性の地位を通じて示されます。例えば、叙事詩ダムサンにはダムサンは部族長に就いた後、奥さんが権力を持つようになりました。男性は社会共同体や戦争を指導しますが、女性は直接指揮はできません。」
長屋は2部分に分けられる。接客室はガフと呼ばれ、その中に、未婚男性用のトゥガフという室がある。また、夫婦用のオクという室や未婚女性用のトゥオクという室もある。

エデ族の女性は家長の割を果たすだけでなく、村の主人としても活躍する。女性は一家や村落の土地を管理し、村内、及びほかの村との紛争、対立を解決する。

「女性は村長であり、土地所有主でもあります。毎年、彼女たちは土地税を集め、また、住民がどのように土地を使用するかを検査します。新しい社会制度の導入により、地方当局は男性、女性ともに選出されますが、各家族の風習として女性が家長を務めます。」

この母系制のアナロジーとして卑弥呼の時代が考えられる。

イメージ 12
バナ族の集会場。高床式建物の高さは19メートルもあり、壮観。2000ドン紙幣にも描かれている。2003年に中部高原コントゥム省コントゥム市のバナ族42人の手で建築された。

バナ族はモン・クメール語族で、人口は約30万人。1880年代に探検したフランス人たちは、平和で清潔、高い物質文化(木造彫刻や木造高層建築)、無形文化(音楽、口承文学)をもつバナ族に驚嘆し、数多くの記録を残している。

バナ族の特殊さはまずその文化的レベルの高さにあるが、もう1つ、社会生活的に特殊な点がある。彼らは体系的な口承神話・叙事詩を持つ一方で、その神々は必ずしも彼ら自身の祖霊ではなく、その叙事詩は彼ら自身の歴史とリンクしておらず、彼らは祖先祭祀をせず、母系相続を行わない。バナ族には母系氏族集団が存在せず、従って同じ祖霊(祖母)から分かれた子孫たち母系親族集団の紐帯も無い。

バナ族には、農耕神に相当する共通の母ヤ・ハラの伝承がある。ただ、このヤ・ハラも、母でありながら祖霊とはならず、農耕を子供たちに教えた後、いずこかへ立ち去ってしまう。
バナ族にも氏族という概念はあるが、それは氏族というよりも「血縁」に相当する概念で、「民族」や「同胞」と越訳されることもあるほど広く解釈でき、しかも固有名詞を持たない。すなわち、「ヤ・ハラの一族」というような固有名詞を持つ母系氏族は形成されなかった。
従って、バナ族はジャライ族やエデ族のように名乗りの際に氏族名を付すことがない。あえて氏族を聞こうとすると、彼らは自身の父方と母方の祖父母4人の名を列挙する。もちろん、こうした聞き取りを地道に行うことで家族の歴史の一端を明らかにすることはできるが、なにしろ祖先祭祀をしないので、口承系譜も存在しない。さかのぼっても祖父母、曾祖父母までである。

イメージ 13
バナ族の集会場へは急な階段を上って、内部に入ることができる。

イメージ 14
バナ族の集会場の天井小屋組み。

イメージ 15
ジャライ族の御霊屋。周りを取り囲む垣の上に造られた木像一つ一つが、故人と共にあの世に赴く人や物をあらわしている。妊娠した女性、交合する男女、局部の誇張は豊穣な生産力を象徴している。
民族博物館の見学を終え、16時30分頃、タクシーでハノイ国立博物館へ向う。

イメージ 16
ハノイ国立博物館。16時45分頃に着き、17時閉館なので、急いで館内に入った。無料なので、損はない。現代的な外観である。盆栽は必ず公共施設に置かれている。

イメージ 17
ハノイ国立博物館。館内はらせん状に吹き抜け回廊が設けられている。

イメージ 18
11世紀以降の旧ハノイ城(タンロン遺跡)からの出土品が中心。古代からの歴史資料は歴史博物館の方が量質とも圧倒的に所蔵しており、こちらはタンロン遺跡出土品の展示場という印象だった。
10分ほどで見学を終え、幹線道路からバスで帰ろうとバス停に行ったが、系統も分からず、バスを待つ若者に尋ねても要領を得ないので、諦めてタクシーでホテルへ帰った。
夜は水上人形劇の鑑賞を予約している。

Viewing all articles
Browse latest Browse all 1170

Trending Articles