熊野古道の八鬼山越えコース入口。
平成26年2月21日(金)。熊野古道の八鬼山越えコースを向井バス停から八鬼山を経てJR三木里駅まで歩いた。歩行距離約9.5辧標準歩行時間4時間30分のコース。
実際には11時29分に向井バス停を出て、熊野古道入口でトイレ、ストレッチ、身支度などで10分ほど休憩後、11時55分に登山口へ入り、八鬼山(標高627m)13時35分、JR三木里駅着15時20分。所要時間3時間51分の行程であった。
平成26年2月21日(金)。熊野古道の八鬼山越えコースを向井バス停から八鬼山を経てJR三木里駅まで歩いた。歩行距離約9.5辧標準歩行時間4時間30分のコース。
実際には11時29分に向井バス停を出て、熊野古道入口でトイレ、ストレッチ、身支度などで10分ほど休憩後、11時55分に登山口へ入り、八鬼山(標高627m)13時35分、JR三木里駅着15時20分。所要時間3時間51分の行程であった。
熊野古道は伊勢路、中辺路などを含めて初めて。近畿日本ツーリストの催行で「熊野古道 伊勢路 日帰りウォーキングバスツアー」というコース。熊野古道シャトルバスを使用。
近ツーからメールで間もなくポイント失効の知らせがあったので、旅行代金3000円からポイント1900円分を差し引き1100円をネットで支払った。2010年9月中国の九寨溝・黄龍・成都5日間のツアーでのポイントのようだ。
近ツーからメールで間もなくポイント失効の知らせがあったので、旅行代金3000円からポイント1900円分を差し引き1100円をネットで支払った。2010年9月中国の九寨溝・黄龍・成都5日間のツアーでのポイントのようだ。
費用としては、JR三木里駅から復路乗車地の尾鷲駅までの運賃320円と自宅から名古屋駅までの往復運賃900円、合計1220円が別途必要。道の駅マンボウでの金券500円分が貰えたので、海苔の佃煮500円を購入。サンマ寿司でもよかったが夕食用のパンを用意していた。ミカン4個と菓子のミニセットも貰えた。
自宅を7時に出て、名古屋駅西口地下の受付に7時40分頃に到着。8時に名古屋駅西口から熊野古道シャトルバスに乗車。11時10分尾鷲駅に着き、若い女性2人が下車。11時29分頃、私が向井バス停で下車したとき、もう一人若い女性が乗っていたが、3人とも古道歩きではなく、単にバスを利用しただけのようで、帰路の乗客は私一人だけであった。
2月20日で予約したが、3日前の予報が雨か雪だったので、21日に変更した。結果的には20日は晴れだったが、残雪が減っていて正解だった。山間地には道路近くに雪が見られた。
事前に予測できたので、軽アイゼンとスパッツを持参した。実際には不要だったが。ノースフェイスのゴアジャンパーをアウターに着て、ユニクロのウルトラライトダウンジャケットを予備的にザックに入れた。登山靴を着用して、履いてきた靴はバスに置いた。着替えのズボンや下着類は三木里駅で着替えるためザックに入れたので、28ℓザックを使用。夏なら18ℓザックで充分だろう。途中で出会った一行は服だけで、リュック類も持っていなかった。私は単独縦走なので、最低限の装備は必要だ。
事前に予測できたので、軽アイゼンとスパッツを持参した。実際には不要だったが。ノースフェイスのゴアジャンパーをアウターに着て、ユニクロのウルトラライトダウンジャケットを予備的にザックに入れた。登山靴を着用して、履いてきた靴はバスに置いた。着替えのズボンや下着類は三木里駅で着替えるためザックに入れたので、28ℓザックを使用。夏なら18ℓザックで充分だろう。途中で出会った一行は服だけで、リュック類も持っていなかった。私は単独縦走なので、最低限の装備は必要だ。
花粉が多いという予報だったので、終始マスクは着用した。ミニサングラスは途中で外した。
11時29分に向井バス停で降り、バスの進行方向へ1分ほど歩くと、八鬼山越えコース入口の尾鷲節歌碑がある。道標に従い左折して、数分で古道登山口手前のトイレのある駐車場に着いた。ここで10分ほど準備。
熊野古道登山口。11時55分。車道の左に登山歩道がある。道標は多いが見落としやすい。名古屋駅西口の受付で貰ったガイドマップに「草むらの中へ」入ると記してあるが、草むらというほどでもない。
行き倒れ巡礼供養碑。西国三十三か所巡礼の旅人は伊勢神宮への参宮を終え、一番札所「那智山青岸渡寺」を目指したが、西国一の難所「八鬼山越え」で亡くなる者もいた。八鬼山道には4基の供養碑が残っているが、これは安政年間、この地で倒れた茨城県筑波の人・武兵衛の供養碑である。
行き倒れ巡礼供養碑付近の道。突然、二人の男性親子連れが下りてきた。頂上付近は雪道ですという。アイゼンが必要かと尋ねると、運動靴でも大丈夫でしたと答えたので、安心した。
また一人、男性と出会うと、雪道でした、頂上まで行くんですかと、誇らしげに語りかけてきた。このあと、数人の男性と対向し、最後は3人の女子中学生と出会った。どうやら10人ほどの同一グループのようだった。全員、荷物は持っていないし、単なる散歩のかっこうをしていた。反対の三木里から縦走したのかと思ったが、向井あたりからのピストンだったかもしれない。
また一人、男性と出会うと、雪道でした、頂上まで行くんですかと、誇らしげに語りかけてきた。このあと、数人の男性と対向し、最後は3人の女子中学生と出会った。どうやら10人ほどの同一グループのようだった。全員、荷物は持っていないし、単なる散歩のかっこうをしていた。反対の三木里から縦走したのかと思ったが、向井あたりからのピストンだったかもしれない。
石畳。50mほど美しい石畳の道が続く。確かに、旧中山道よりもいい。幅は1間、1.8m。すぐ上にゴットン石があるらしいが、分からなかった。
石畳道の上から振り返る。遠い山の上には雪が被っている。
篭立場と町石。4度ほど紀州の殿様が巡視したときは、地元が大変な負担をしたという。
清順上人供養碑。江戸時代の尼僧で、伊勢神宮の勧進を行い、外宮は修築なったが、内宮はできなかったという。小さいのが意外だった。
石段の道。入口。林道には軽自動車が一台駐車していた。
ここから10分ほどで、七曲りの下に着く。撮るのを忘れたが、登山道に比べれば大したことはない。
ここから10分ほどで、七曲りの下に着く。撮るのを忘れたが、登山道に比べれば大したことはない。
「七曲り」上の道にあるペンキ。世界遺産反対者の落書きは有名だが、落書きなのか、所有者の印なのか分からなかった。
桜茶屋一里塚。13時00分。
蓮華石・烏帽子岩。13時8分。
九木峠。13時13分。このあたりから雪まじりの道になる。
三宝荒神堂。13時21分着。平場に出ると、右に三宝荒神堂がある。左には集会所らしい大きい建物がある。鈴を鳴らして、堂の左に回り込んで、扉を開けて中を覗く。堂の正面すぐに、記名用のノートがあるとネットで読んでいたので、見たらそれらしきものが置いてあったが、靴を脱ぐ必要があったので諦めた。左の大きい建物の手前に「手形ラリー」用のスタンプがあったので、押印した。
荒神堂から先の登りが、本当の雪道になっていた。滑らないように慎重に登っていった。
荒神堂から先の登りが、本当の雪道になっていた。滑らないように慎重に登っていった。
八鬼山山頂への登り口。東屋広場を過ぎると、右に小さい板があり、左が山頂と書いてある。左の土手へ登って、少し戻ると、道から1分で山頂に着いた。
八鬼山山頂。標高627m。岩の右から熊野灘がわずかに見える。
「さくらの森エリア」。山頂から数分で、「さくらの森エリア」と江戸道の分岐に着き、左の前者への道を下ると、2分ほどで着く。東屋にはカラスしかいない。
「さくらの森エリア」。北に尾鷲湾方向。大台ヶ原の東に連なる山並みもはるかに見えている。
「さくらの森エリア」。東に熊野灘方向。町並みは九鬼の港のようだ。
先ほどの分岐に戻らず、反対側の出口から山道を下りる。江戸道という道標がないので不安になる。位置的に間違いはないが、登ってきた道より、踏み跡は薄い。結果的には間違っていなかった。
先ほどの分岐に戻らず、反対側の出口から山道を下りる。江戸道という道標がないので不安になる。位置的に間違いはないが、登ってきた道より、踏み跡は薄い。結果的には間違っていなかった。
十五郎茶屋跡。江戸道を小走りに駆け下りてきて、到着。江戸道で間違いなかったと確認できた。茶屋の上には八鬼山の頂上一帯が見えており、かなり下ったことを教えてくれる。
世界遺産反対の白ペンキ。かなり、多くの樹木に書かれていた。
右が江戸道、左が明治道の分岐。世界遺産は江戸道の区域が指定されている。三木里駅から来ると、左の明治道の方が道路状況が良さそうに見えてしまう。ガイドによると、谷道になっていて、整備不良とのこと。
川を渡ると舗装道に変わり、振り返ると八鬼山が見えている。
名柄一里塚。14時40分到着。確かに、教科書どおりの一里塚だ。
三木里海岸近くの沓川橋手前の広場。八鬼山が中央なのか右手前の山なのかは分からない。
世界遺産反対の理由が書いてある。反対のエネルギーは凄まじい。
国道を歩き、三木里駅への一つ手前の道に入って、迷ったが、15時20分にJR三木里駅へ到着。
トイレで着替える気分になれず、ホームの待合所のベンチで着替えた。誰もいなかったので、下着を含めほとんど全てを着替えて数分後に男性客数人が現れたので、タイミングが良かった。尾鷲方面は16時18分発なので安心していたが、その前に新宮行きの列車があったのだ。
尾鷲駅に16時34分に着き、16時40分頃シャトルバスに乗車、紀伊長島の道の駅で金券を使い、伊勢道で若干の渋滞はあったものの、20時5分に名古屋駅西口に到着。20時45分に帰宅した。
世界遺産反対の理由が書いてある。反対のエネルギーは凄まじい。
国道を歩き、三木里駅への一つ手前の道に入って、迷ったが、15時20分にJR三木里駅へ到着。
トイレで着替える気分になれず、ホームの待合所のベンチで着替えた。誰もいなかったので、下着を含めほとんど全てを着替えて数分後に男性客数人が現れたので、タイミングが良かった。尾鷲方面は16時18分発なので安心していたが、その前に新宮行きの列車があったのだ。
尾鷲駅に16時34分に着き、16時40分頃シャトルバスに乗車、紀伊長島の道の駅で金券を使い、伊勢道で若干の渋滞はあったものの、20時5分に名古屋駅西口に到着。20時45分に帰宅した。